テレビ朝日『ツジツマ』における重大な疑問

 決められたファーストシーンとラストシーンのツジツマを合わせるという企画ドラマ(テレビ朝日)。これはレギュラー番組なのかと思ったら、スペシャル扱いだったのね。次があるかどうかは視聴率が出るまでわからないわけですね。
 http://www.tv-asahi.co.jp/tsujitsuma/introduction.html

 今回は中川翔子河本準一中村中の3人が脚本家となり、最初と最後のシーンが決まっており、その間のツジツマを合わせて10分のショートドラマの内容を作るというもの。この企画設定にはとても興味を持ったので、観てみたわけだが。

 例えば中川翔子の場合、ファーストシーンが『ドアを開けると…世界一不幸な男の顔が鏡に映っていた』、ラストシーンが『そして男は世界一幸せな顔で眠りについた』というものがトランプのカードみたいなもので提示される。でも、これはシーンというよりは、ただのお題でしかない。細かい設定は一切ないので、結局何とでもどうにでもやろうと思えばできる。せっかく興味深い企画だと思ったのに、もうちょっと限定した設定を作らないと、この企画のおもしろさは出てこないのになと思った。カードに数行書いたものを渡すんじゃなくて、主人公の設定だけ作ってしまうとか、1枚の写真を渡してこれをファーストカットにして下さいとか、やろうと思えばいくらでも工夫ができるのにとにかくもったいないなと思った。
 
 あまりにもあいまいな設定で、何とでもできる設定だと、依頼される方(ツジツマを合わせる話を作る方)は確かにやりやすいし作りやすい。でも観る方の楽しみ方としては、自分だったらこう考えるというような内容と、実際依頼された方が作るストーリーとがこんなに違うもんだというギャップを楽しむわけですよね…。結局、この番組は、そういう楽しみ方はあまりできないことに気付いてしまった。

 今回の3人の作ったというドラマの内容は、それぞれの個性がうまいこと生かされた中身になっており、おもしろく楽しめた。しょこたんのハゲのサラリーマンがセーラー服を着て魔法を使うという話などは、あまりにらしすぎて作りすぎたところもあるかと思ったけれど、素直に楽しめた。

 とここでまた最初の設定の話にも関わってくるのだが、私がこの番組を観て一番疑問に思ったことは、せっかく3人全く個性の違うメンバーを集めておきながら、「何でファーストシーンとラストシーンを3人とも同じものにしなかったのか?」ということだ。

 おそらく3人それぞれ本人ならではの個性を発揮してもらうために、個別にファーストシーンとラストシーンを設定したのだろう(しょこたんはオタク話、河本は家族話、中村中は恋愛話という風に)。その結果、ドラマの内容的にはうまくバリエーションを持たせることに成功した。しかし、3人に全く同じファーストシーンとラストシーンを提示したとしても、3人がそれぞれの個性を生かしたバリエーションのある話が同じようにできてくるはずだと思うのだが…ちがうだろうか。

 この番組の企画の設定を聞いて、私が想像した視聴者的おもしろさ、つまり「もし自分だったらこう考えるという内容と、実際依頼された方が作るストーリーとがこんなに違うもんだと感じるギャップのおもしろさ」を一番生かせられる設定は、同じファーストシーンとラストシーンでも、その間のストーリーを考える人間がちがえば、全体として話が変わってくるということではないのか。そういう意味でも、なぜこの3人を同じファーストシーンとラストシーンを与えて作らせなかったのかということに大きな疑問が残る。

 同じファーストシーンとラストシーンにすると、いくら個性の違う3人でも、似たような話になるんじゃないかと言うかもしれない。仮にそうなったとしても、そこにバリエーションを付けるのが制作者の仕事であるはずだ。少なくとも今回のトランプのカードのようなもので提示される、あいまいで何とでもできるお題ならば、バリエーションがつかないという方がおかしい。今回の番組で少し不自然さを感じた、スポンサー3社(ドコモ、日産、エプソン)の商品をドラマの中で使用するというしばりも、3人同じファーストシーンとラストシーンの設定なら、それぞれにちがうスポンサーの商品を使用する条件を与えることで、さらに話のバリエーションの幅を与える要素の一つになるだろうし。

 結局のところ、3人それぞれにファーストシーンとラストシーンがあってという今回の形だと、そのツジツマを合わせるという流れは、ドラマを観ている中で、どうでもいいことになってしまっているようにしか思えない。私にしても、実際のところ「ああそんな設定だったっけ?」みたいな風にしか残っていなかった。ドラマの中身がおもしろければそれでいいと言うかもしれないが、せっかくこうやってツジツマという企画設定を作っているはずなのに、それをどこかにやられてしまうのは、すごくもったいないように感じた。要するにただのオムニバスドラマになってしまっているわけだ。それで制作者がいいというのならそれまでですが。