南アフリカのスラムを描いた映画『ツォツィ Tsotsi』について

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 いつも映画を観ては、何を観たかすら忘れてしまっているほどなので、せっかくなので、時間があるときにメモ代わりに書くことにした。これからどこまで書けるがわからんが、やってみる。タイムリーな映画であることはまずないと思う。

アカデミー受賞『ツォツィ』予告

 元々好きなアフリカものなので、観たいと思っていたのだが、忘れていて観れなかったものである。たまたまレンタル屋のわかりやすいところにあったから取ってみたというだけだ。

 ストーリーはこんな感じだ。舞台は南アフリカ共和国ヨハネスブルグ。世界で一番危険といわれるスラム。アパルトヘイトの爪跡が今も残る街に生きる、ツォツィ(=不良。ギャング・犯罪者を表すスラング)と呼ばれるある少年は、仲間とつるんで窃盗やカージャックを繰り返し、怒りと憎しみだけを胸に日々を生き延びていた。しかし、ある日奪った車の中にいた生後数ヶ月の赤ん坊との出逢いによって、ツォツィの人生は大きく変わり始める。生まれたばかりの小さな命は、ツォツィの封印していた様々な記憶を呼び覚まし、やがてツォツィは「生きること」の意味や命の価値に気づき、希望と償いの道を歩み始める。ほとんどamazonの引用である。

 スラムに生きる少年の話ということだが、最初の略奪~殺人シーンはいい。しかし、その殺人の後ですぐに仲間でもめ事が起こり、殺すことはないだろうとか争いが起こるのである。そこですごく違和感を感じた。犯罪を繰り返す少年達というイメージじゃないやんという風に思えてしまうのである。ここはもう少しダイジェストでもいいので、略奪や犯罪の印象的なシーンをもう少し入れるべきだろうと思った。そもそも時間にして1時間30分ほどの作品なのだから、もう一つ別の犯罪シーンを入れて、その後で仲間割れをさせるくらいにすると、少年達の悪さ、犯罪に生きるしかない哀しみが強調されて、次の展開が生きるのにと思ったわけだ。

 そして最も違和感を感じたのが、主人公がカージャックした車に赤ん坊を見つけて、その赤ん坊を持ち帰る描写の弱さである。それまでの犯罪の描き方が微妙だから、主人公が非情な人物だったように感じない。普通に赤ん坊を見つけて驚いてどうしようとあたふたするだけの感じしかない。そもそもそこでわざわざ赤ん坊を持って帰る意味がよくわからない。だだっ広い田舎道、人気もない所の(はず)なのに、普通なら置き去りにするものをなぜ持ち帰るのかは、そこにもう一つ別の描写が必要なはずだ。ベタだがそれこそ死んでしまった弟妹を思い出してとか何とか…。人に見つかりそうで困る場所だったならば、見つからない所まで移動させようとして、なかなかいい場所が見つからず、そのうち愛情が生まれてきてとか、生命の偉大さに気付いてとかいうやり方があるけれども…。結局コメンタリーで監督がいみじくも指摘していたが、主人公は誘拐して脅迫のネタに使えると思って、持って帰るにするのが一番いい展開だったのではないだろうか? そうすればその間に主人公の感情がどんどん変化していってという展開を作れる。悪だくみが生命の尊重に変わる流れも作れるのにと思った。

 実は原作の小説では、赤ん坊と出会うシーンはカージャックでも何でもないことがわかって、何だかなという感じを持った。主人公が付きまとっていた女に無理矢理赤ん坊を押し付けられてみたいな展開らしい。それはやりにくいと監督がコメンタリーで言っていたが、そうかな?と疑問に思った。

 赤ん坊を袋に入れて移動するシーンが多いのだが、その間に何のトラブルもないのも気になった。街で通行人に気付かれるとかそういうシーンが一つくらいあってもよかったのではと思う。赤ん坊がらみのシーンの撮影が大変だったのは、監督が何度も言っているのでわかるのだが。

 この映画では、なぜかラストシーンだけは3パターンも撮っていて、どれにするのかずいぶん悩んだらしいが、最終的には私も本編の形が正解だとは思うが(原作の小説では、主人公は殺されて死ぬらしい)、実は問題はそこではないのだ。あくまでもそこに至るまでの主人公の描写だと私は思う。まあ、そう思うのも、それもこれも同じような境遇の少年の映画である『シティ・オブ・ゴッド』を私が観ていたからなのだが。あの映画のあまりに強烈な印象と比較しまうと、この映画は犯罪の描写にしても、主人公の迫ってくる感情にしても、あまりにも弱く感じる。

 考えてみれば、主人公はもう少し子供の方が良かったように思うのだが。今の主人公の年格好だからすでにもう分別がありすぎるように見えるのだろうかとも思った。結局、アマゾンのレビューで指摘している人もいたが、この映画に足りないのは、生命の尊厳以上に重く立ちはだかる貧困や差別の問題が十分描かれていないことだろう。誰も人をおとしめたくて、殺したくて、犯罪を犯しているわけじゃない、貧困が仕方なしにそうさせているようなところが見えてこない。できるならばこの映画は南アフリカで育った監督が作るべきものだったと思う。それが『シティ・オブ・ゴッド』との違いだろう。

 この映画は、アカデミー賞外国語映画賞を獲ったことを後で知って驚いた。