オダギリジョー主演ドラマ「家族のうた」低視聴率で打ち切り決定、その内容を観てみると、十分な迷走ぶりが見えてきた!

  オダギリジョー(36)主演のフジテレビ系連続ドラマ「家族のうた」(日曜後9・00)が第8話で打ち切りになるこ とが分かった。6月3日放送分が“最終回”となる。

  平均視聴率は初回が6・1%、第2回は3・6%、第3話は3・4%、第4話で最低の3・1%と推移し、4話までの 平均は4・2%と低迷。
 
 
  当初は11話まで想定されていたが、3話短縮する形となった。
 
 
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 放送前から「パパはニュースキャスター」の脚本家から類似点を指摘され、フジテレビが一部内容を変更する事態となり、それがネットのニュースとなり、負のスパイラルのような形で低視聴率となったなどと分析されている。2000年以降の民放ドラマで、最低視聴率をたたき出すという結果になったようだ。
 
 まあ、内容を観てみないと始まらないと思うので、あえてここで観てみることにした。すると、その中身だけでも、その迷走ぶりというか、いい加減さというか、どうしようもなさが見えてきたので、記すことにした。
 
 クオリティ的には、このドラマよりひどいものだって、多数あると思う。しかし、このドラマの問題として気になったのは、むしろその姿勢というかスタンスである。といいながら、私はこのドラマの全話を観たわけではないので、推測的な部分もあるということを前提にしてほしい。あと基本的には、先週放送の第4話の話題をピックアップする。
 
 ①なぜ、この作品はロックをテーマにしたのか?
 
 そこに見えるのは、この番組の制作者はほんとにロックが好きなのか?ということである。なんていうか、破天荒さ=ロックという図式として使える便利なものとしてとらえてないような気がする。ロックミュージシャンのステレオタイプ的なイメージをそのまま形にしているだけにしか見えない。「宿題なんてロックじゃねぇ!」なんて子どもに言わせるとか、都合のいいことばかりに利用している。それは置いておいたとしても、いまどきロックのことを知っている視聴者がどれだけいるというのだろうか? これだけ音楽が多様化している中で、なぜロック? 「ギンナンの入っていないガンモなんて、キースのいないストーンズだぜ」などと、主人公はキース・リチャーズを信奉するのだが、このセリフの意味をわかる視聴者はそんなにいないはず。普通ならローリング・ストーンズとは何ぞやとか、キース・リチャーズとは何ぞやみたいな説明や解説がないとダメだと思うのだが、そういう部分は一切ない。ロックの素晴らしさを知らせたいなら、そこまでするべきだが、多分、制作者にそういう意図はない。ロックと言いながら、話題にするのはストーンズだったり、ジョン・レノンだったり、典型的すぎるものだけ。そして、ほんとにロックが好きな人間は、悲しいかな、このドラマを見ないだろう。
 

 ②このドラマの時代設定はいつなの?
 
 雰囲気を見ると、現在のような気がするが、作品の中で、ローリング・ストーンズのライブのチケットを手に入れる話が出てくる。もうストーンズは5年くらいツアーを行っていないんだけどね。そういうディテールがやたら気になってしまう。そこまでしないとストーンズでないといけないのか? ストーンズでないと一般の視聴者が理解できないから? ストーンズだって、多分知らないよ。おまけにトータス松本演じるバーのマスターが、手に入れたストーンズのライブのチケットを、奥さんに内緒で行くことがバレたからという理由で、オダギリジョー演じる主人公の早川正義に譲るというシーンがある。ほんとにストーンズのライブなら次いつ来るかもわからないようなものなのに、そんなつまらないことで譲るか? 普通なら仕事だって休んででも行くものだろうに。ほんとにわけがわからないってものである。このドラマの世界では、ストーンズは毎年来日するのか? 結局ロックという名称を借りて作っただけにしか見えない。
 

 ③ミュージシャンの仕事をどうとらえているのか?
 
 第4話では、町内の祭りのテーマソング制作とそのライブを早川正義に依頼されるくだりがある。町内会には保守的な人もいてロックに反対する人もいるのだが、ロックの好きな名誉会長がそれを押し切るというその依頼もトンチンカンだが、その正義の作った曲は名誉会長には気に入られず、作り直しを要請される。正義はその要請を拒否し、周りから説得され、曲変更をうながされるのだが…。そこまではいい。しかし、それを引っ張っておきながら、結局そこの帰結は何もなく、ドラマの中で言及されることもない。名誉会長との話し合いもあったのに、いつの間にか祭りがはじまっており、コピーバンドがライブをしている。おいおい、テーマソングはどうなったの? テーマソングなんてなくったって良かったの? 変更した曲を作って正義の成長が見えたとか、あくまで変更を拒否しスタイルを貫いたとか、どちらにしても結果を受けた主人公の対応は、見てる人が気になるもんじゃないのか? 同じく第4話では、変更を要請した名誉会長の翻意をうながすために、ロックが好きな名誉会長の孫にライブを見せるというシーンがあるのだが、そのライブ(なぜかギター1人のソロライブ)には、近所の人々も多数訪れているにもかかわらず、当事者の子どものケンカが起こり、ライブが中止になるという顛末に。ていうか、ライブってそんなもんか? お客さんが観に来てくれてるわけでしょ? 説得工作は失敗でも観てくれる人には訴えるものがあるかもしれないでしょうよ。ミュージシャンの仕事をどういうものだと思っているのか? 町内会程度の仕事だからどうでもいいやと思ってるんじゃないよね。この辺にもいい加減さがにじみ出ていると思う。
 

 ④ゲストミュージシャンの不思議さ
 
 ロックを取り上げていながら、ロックへの愛情があまり感じられないこの作品だが、なぜか毎回ゲストとしてロックミュージシャンが出演してくれている。その辺は、フジテレビの力なのであろう。第4話のゲストは、浅井健一だった。元ブランキージェットシティーベンジーである。今はシャーベッツか? 完全にソロなのか。しかしその出演は、祭りの会場で、早川正義が彼とすれちがい、マネジャーと「あれ、浅井健一だよね?」と話題にするだけ。何、それ??? そもそもの設定として、早川正義は今は売れないミュージシャンだけれども、過去に一世風靡した栄光はあるわけでしょ?(そもそも何で売れないミュージシャンにちゃんとマネージャーがいるの?と思うが、まだそういうことなら納得できる理由はあるわけだし) そういう背景を形作るなら、浅井健一は年も近いだろうし、早川正義という存在を知っていておかしくないし、お互い下積みの時代を頑張ってきたことを知っている知り合いかもしれないわけだろう。浅井健一に「お前、早川正義だろ?」とか「まだ生きていたの!?」とかぐらい言わせてもよかったんじゃないの!? それをすれちがわせるだけで終わりって、バカじゃないの? 何の意味があるの? せっかくゲストを招いているのなら、自分たちの世界観に巻き込むことぐらいしたらどうなんだ? まあ、浅井健一がそれを頼んでやってくれるかどうかは別にして…。でも彼は現場に来てくれたわけだから、それくらいやるような姿勢が制作側にそもそもあったのかどうかっていうことじゃないかだと思う。
 
 オダギリジョーは役柄としては、様になっていると思うし、彼自身はロック好きでもあるのだろう。ドラマのクオリティーも低いとは思わない。しかし設定やディテールや説明があまりにも不自然だし、無責任だし、無理がありすぎる。ロックを知らない人にとってはわけがわからないだろうし、ロック好きにとっては、見ていられるものでないだろう。中身を見たら、なんとなく低視聴率という事態も理解できる気がした。