2018/11/15 NFL Seattle Seahawks vs. Green Bay Packers @ CenturyLink Field, Seattle, WA ②

 この日は第11週のゲーム。シアトル・シーホークスはここまで4勝5敗。グリーンベイ・パッカーズは4勝4敗1分。NFCは混戦になりがちではあるが、パッカーズは昨シーズン、クォーターバック(QB)のアーロン・ロジャースが負傷してプレイオフ出場を逃し、今季はロジャースが復帰したものの、勝ち星が稼げず、何かが違うという印象。シアトルに関しては、昨年は2ケタ勝利もできず、今年もこのパターンなのかという感じ。昨シーズン、ブレイクしたロサンゼルス・ラムズミネソタ・バイキングスの新勢力に対し、両チームとも意地を見せられるかという正念場のシーズンであるのだが。
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 正直、シアトルは、QBロジャースに問題がなければパッカーズには勝てないだろうなと思っていた。試合は、シアトルの攻撃から始まったのだが、自陣25ヤードから最初の1プレイ目で、2年目のランニングバック(RB)クリス・カーソンがタックルを受けて、ファンブルしてしまう。転がったボールはパッカーズの手に渡り、攻撃権を失う大失態。タックルをしたのはラインバッカー(LB)のクレイ・マシューズ(しかし彼の見せ場はこの日これだけだったかもしれない)。絶好の位置からスタートすることになったパッカーズは、QBロジャースが、タイトエンド(TE)ジミー・グラハムに13ヤードパスを通した後、RBアーロン・ジョーンズがエンドゾーンに走り込みタッチダウン。開始1分ちょっとで、
0-7と先制されてしまうという厳しい展開。
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 シーホークスの攻撃は、QBラッセル・ウィルソンのパスが通らず、あっさりとパントで終了。続く敵陣23ヤードから始まったパッカーズの攻撃は、QBロジャースに最初のプレイで、ワイドレシーバー(WR)デバンテ・アダムスに41ヤードのパスを通され、アッという間に自陣36ヤードまで侵入されてしまう。ロングパスを投げると思わせないモーションで、そんなに飛ぶかというロジャースの力は素晴らしいの一言だ。1つランを挟んだ後、またアダムスにパスを通され、自陣29ヤード地点まで進まれる。しかし、ここでキッカー(K)名手・メイソン・クロスビーが47ヤードのフィールドゴールを失敗。0-7のままで命拾いした。
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 まだ開始5分も経っていない。この幸運を生かせるかという自陣32ヤードからのシアトルの攻撃は、ルーキーのRB、ラシャード・ペニーが、パッカーズのディフェンスを右へ左へするりと交わし、技ありの30ヤードのランで敵陣38ヤードまで進む。この人は、結構加速力を持っている。だがその後のQBウィルソンのパスは、WRタイラー・ロケットには通ったものの、決め切ることができない。Kのセバスチャン・ジャニコースキーの39ヤードフィールゴールで、3-7と3点を返しただけ。我がレイダースにいた名キッカーのジャニコースキーは、今はシーホークスで頑張っている。涙がちょちょぎれるね。

 するとパッカーズは、次の攻撃ですかさず反撃をしてくる。敵陣25ヤードから始まり、QBロジャースは、WRデバンテ・ジョーンズやTEランス・ケンドリックスにショートパスなどを通して、46ヤードまで進んだ。6プレイ目で、ロジャースはディフェンスを右へかわして、完全にフリーとなり、余裕でターゲットを探して走りながら、ルーキーのTE、ロバート・トンヤンに54ヤードのディープパスを投げてタッチダウン、これで3-14。何だろうね、もう次元が違うとしか言いようがないよ。
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 第1クォーター、残り3分。シアトルファンはあきらめムードだったかもしれない。次の攻撃もパントで終わるが、パッカーズの攻撃もパントで終わらせることができた。再びシアトルの攻撃となり、自陣23ヤードから、RBカーソンが、先ほどの汚名を返上するように15ヤードを走ってファーストダウン
ここで2クォーターへ。自陣33ヤードから、QBウィルソンは、ここで初めてエースWR、ダグ・ボールドウィンに14ヤードのパスを通し、敵陣内へ。ここからウィルソンは、RBカーソンとペニーのラン、WRボールドウィンとロケットへのショートパスで、時間をかけて攻めていく。RBペニーのランで敵陣8ヤードまで進むと、相手ペナルティーもあり、最後はWRボールドウィンに6ヤードのショートパスを通して、この日初めてのタッチダウン、10-14まで追いついた。
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 この時点で第2クォーターは残り8分。ここでシアトルのディフェンス陣も活躍し、QBロジャースをサック、攻撃をパントで終わらせた。すると、次のシアトルの攻撃で、ウィルソンからロケットへのパスの際、相手のパス妨害反則があり、なんなく敵陣へ侵入することに。さらにTE、ニック・バネットへの17ヤードパスで、なんと敵陣1ヤードまで進むと、RBカーソンが中央を走り込みタッチダウン、なんと17-14と逆転した。

 シアトルに流れが傾いたかと思いきや、第2クォーター、残り3分からのグリーンベイの攻撃、QBロジャースは、RBジョーンズパスを渡して、敵陣に侵入したかと思うと、WRアダムス、TEケンドリックスと次々にショートパスを通し、最後はRB、ジョーンズに24ヤードのパスを決めてタッチダウン。このジョーンズは、ショートパスで前にも出れるし、ロングパスも受けれる器用な選手。わずか2分半で、5連続パス成功、17-21と鮮やかな逆転である。決して流れは渡さない。残り1分もない中、シアトルはウィルソンがパスを繰り出すが、敵陣内にも入れず、前半終了。
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 後半は、グリーンベイ・パッカーズの攻撃から。QB、アーロン・ロジャースはさらにも増して、WRデバンテ・アダムスを使ってくる。ショートにロングに、またアダムスかというほど多用する。しかし敵陣には入るが、攻撃はパントで終了。すると、次のシアトルの攻撃から、グリーンベイの攻撃と、2回続けて敵陣に入れずパントで終わる膠着状態に。次のシアトルの攻撃、自陣3ヤードから始まるも、QBウィルソンは、WRのデビッド・ムーア、ボールドウィンとパスを通し、RBカーソンの6ヤードのランで敵陣に入ったところで、第3クォーター終了。得点は17-21のまま。最終、第4クォーターにどんなドラマが待っているのか。
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 第4クォーターに入り、シーホークスは、RBカーソンの連続ランで、敵陣19ヤードと、ついにフィールドゴール圏内に侵入。QBラッセル・ウィルソンがサックを受け、さらにペナルティで35ヤードまで戻されるが、RBマイク・デイビスのランで25ヤードまで進み、最後はKジャニコースキーフィールドゴールを決めて、20-21に、ついに1点差に。

 盛り上がるシアトルファン。しかしパッカーズも引き下がらない。敵陣25ヤードから始まったグリーンベイの攻撃で、またQBロジャースのビッグプレイが決まる。WRデバンテ・アダムスへ57ヤードのディープパスが決まり、一気に自陣17ヤードまで攻め込まれてしまった。ここではロジャースは思い切り振りかぶって投げていたが、しかし、こんなにあっさりと決まるかねという感じ。どんな練習をしたらこんなのが決まるのか。そして、RBジョーンズが12ヤードまで押し込むが、次のプレイでシアトルディフェンスがQBロジャースをサック。しかし、自陣内で攻められている現状は変わらず、結局フィールドゴールを決められて、20-24と、また離された。
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 残り8分半。フィールドゴールでは追いつけないので、タッチダウンがほしいシアトル。自陣25ヤードからスタートした攻撃、QBラッセル・ウィルソンはパスモードに入る。WRボールドウィンにショートパスを通した後、WRタイラー・ロケットに渡し、50ヤードまで進む。そして、再びロケットに34ヤードのパスを通し、敵陣16ヤードまで入った。ランでは進ましてくれないと見るや、ウィルソンは中央に走り込んだ、TEのエド・ディクソンに合わせて、15ヤードのタッチダウンパス。これが決勝点となり、27-24と再逆転だ。ここまで相手にさんざんビッグプレイを見せられながら、それでも返したシアトル。ピート・キャロルのしぶといシーホークスは健在だった。
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 残り5分。まだ時間がある中で、パッカーズはどうするのか?と思って見ていたら、わずか1分ちょっと、なんとファーストダウンも取れずにパントで終了。
QBロジャースのパスは全く決まらず。えーっ、こんなにあっさり終わったの?という感じ。しかも、ロジャースはルーキーWRのEquanimeous St. Brownとか、Marquez Valdes-Scantlingという選手に投げていたからよくわからない。ここでこそ、さんざん使ってきたRBのジョーンズやWRアダムスで、思いきった作戦仕掛けるんじゃないの? ルーキーに経験させるのは大事だが、クライマックスのここじゃない。 本当ならば、NFLゲームパスを買って、試合のこの部分をもう一度見てみたいくらいだ。ベンチとの連携の不具合があったのか、本当にロジャース自身がそこに投げたかったのか疑うようなプレイであった。思えば、大事なところで試合を失うパッカーズの原因は、こんなところにあるのかなと後で思った。
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 残り4分。自陣20ヤードから始まったシーホークスの攻撃は、RBデイビスと
QBウィルソンのランでファーストダウンを取ると、ほんとにランを続けるだけでファーストダウンが取れてしまうんだな、これが。2ミニッツウォーニングを超えると、あとはそのままニーダウンで時間をつぶして試合終了。最後はあっけなく終わってしまった。

 数字を見ると、シアトルは、QBラッセル・ウィルソンがパス225ヤード、タッチダウンパス2回、QBレイティング110.3。レシーブは、ボールドウィンが57ヤード、タッチダウン1。ロケットが71ヤード獲得。ランは、カーソンが83ヤード、タッチダウン1。ペニーが46ヤード。ディフェンスでは、LBのボビー・ワグナーが6タックル。ディフェンシブ・エンドのフランク・クラークが3タックル、2サックくらい。やはり、勝利チームの数字としてはいかにも物足りない。

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 グリーンベイは、QBアーロン・ロジャースがパス332ヤード、タッチダウンパス2回、QBレイティングはなんと128.8。レシーブは、WRアダムスが166ヤード獲得、RBジョーンズが63ヤード、1タッチダウン。TEトンヤンが54ヤード、1タッチダウン。ディフェンスでは、コーナーバックのジャイア・アレクサンダーが6タックル。LBのカイラー・ファックレルが5タックルに3サック。セイフティーのジョッシュ・ジョーンズとトレイモン・ウィリアムスがそれぞれ5タックルを記録している。数字だけ見ると完全にパッカーズの勝ちゲームである。本当に熱心なファンたちがいるのに勝てないという勝負弱さがもったいない。
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 結局、この試合後、シアトル・シーホークスは勝率を5割に戻し、ロサンゼルス・ラムズはおいておいて、プレイオフ進出の有力候補となり、グリーンベイ・パッカーズはまさかの黒星先行、アウェイでの弱さが浮き彫りとなった。そして、4勝7敗となったところで、近年のパッカーズ黄金時代を築いたマイク・マッカーシーヘッドコーチが解任されるという事態に。アーロン・ロジャース自身が衰えたわけではないことは誰が見ても明らかなだけに、数年前までに見られたようなディフェンス陣の怖さやオフェンスラインの堅古さが感じられなかったのも現実だったかも。
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 試合が終わって、ショップを色々見て回っていたら、もう部屋に帰ってきた時は21時を回っていた。スタジアムではピザを買って食べたのだが、マンションの下にあって、後でここで色々買えばいいやと思っていたドラッグストアがすでに閉まっているのに気づく。シアトルはこんな街の真ん中でも、店は早く閉まる。開いているのはバーとか飲み屋とかくらい。明日のご飯とか水を何にも買ってないよ、どうしようとネットを調べていたら、ちょっと歩きはするが、日系スーパーの宇和島屋が、夜10時まで開いていることを知り、走る。

 寿司などはもちろん、食材も豆腐や納豆など色々なブランドがあり、日本の食材なら、ないものはないという品揃え(ただアメリカの食材も普通に売っているスーパーではある)。こういう店があって、今、泊まっているような部屋があれば、完全に自炊ができるなと思う。ただし、おおむね値段は高い。かなり高かったが、誘惑に負けて、日本のクリームパンを買って帰る。確かにおいしかった。あと、もう日本では売ってないグリコのアーモンドピーク(パッケージも日本語のままで英語のシールが貼ってあるだけ)が安く売っていたので、買う。こういう古くなった品も流れてくるんだなと納得。翌日はシアトル市内にいるだけなので、ゆっくり休んで寝た。

2018/11/15 NFL Seattle Seahawks vs. Green Bay Packers @ CenturyLink Field, Seattle, WA ①

 明けて15日。この日はシアトルに向かう。国境通過は時間がかかるというので、早朝などなるべく朝早い方がいいというネットのレポートが多かったが、そんなに早くは起きられず、9時過ぎになった。この日行こうとしているシアトル・シーホークスのゲーム開始は17時30分、ホテルから会場のセンチュリー・リンクフィールドへは歩いてすぐのところなので、15時過ぎにホテルに着けば余裕なのだが、それでも待ち時間を含めれば、移動で3時間はかかるかもなと、時間が読めず不安だった。

 結果から言うと、アボッツフォードに移動していたのがよかった。アボッツフォードから南に下ると、スーマスという町があって、そこに国境がある。なかなかここからアメリカへ渡る外国人はそうそういないわけで。確かに車で検問を受ける時までは20分近く待ったが、それから別棟の建物で手続きをしてもらう時間にしても、20分もかからなかったと思う。そこでESTAの認証を見せて、I-94Wのビザを発行してもらう。6ドルの料金を取られたが、こんなに楽なものかと思ったほどだ。これが普通にバンクーバー市内から99号線を下って、ピースアーチのある国境を越えようと思うと、多分数倍の車が通過しようとしていたと思うし、時間は確実に倍以上はかかったと思う。車で国境を通過できる場所は何か所かあるので、どこを通るかというのが非常に大事なんだと痛感。外国人が通過させてもらえない場所はさすがにないはずだから重要である。
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 国境を通過してからはあまりにも順調だった。シアトルのダウンタウンに入るまでは、やはり退屈な山道で、途中で雨も降ってきたりした。どこのドライブインで休もうかと思案したが、大したおもしろい場所はない。シアトルに入ると、雨が降った様子は何もなかったので、山の独特な天候である。

 難儀なのは、シアトルで泊まる予定のホテルだった。住所を探してもよくわからず、周りを何回車で回ったことか。それもそのはず、エクスペディアに載っているホテルではあったが、普通のホテルではなく、マンションの部屋をそのまま借りる形式のもので、看板とかが出ているものではなかったのだ。駐車場をリクエストしていたので、押さえてくれているはずなのだが、それもどこかわからない。すでに14時を回る時間になったが、どうにもならない。ホテル付近は、この日はシーホークスのゲームがあるので、どんどん駐車場が埋まっていく。適当に路上駐車をして探すわけにもいかないので、もう腹を決めてイベントパーキングに車を止めることにした。ここで無駄な20ドルを取られる。聞けばオールナイトでも車を止めておくことができると安心して、歩いてホテルを探すことに。

 もう一度来たメールを見ると、自分はチェックインの到着時間を知らせはしたのだが、着いたら電話をしろと書いてあった。電話しろと言っても、こっちはアメリカの携帯を持っていないので、公衆電話を探す。キング・ストリート・ステーションという駅があり、そこに公衆電話があったので、かけようとするが、手持ちのクォーターを何枚入れても全くかからない。どうしようと思いながら、日本の携帯でもかかるかなとかけると、つながった。場所を聞くと、これまでグルグル回っていたビルの中の1つに部屋があるのだとわかった。そんなのわかるわけないって。そして、電話はつながったはいいが、この国際電話代でいくら取られるのだろうと不安にもなる。

 借りた部屋は7階で、こんなキレイなすごい部屋を1人で使っていいのと思うものだった。間取りとしては1LDKだが、リビングにしろ寝室にしろとにかく広い。シアトルのダウンタウンのど真ん中で、スタジアムまで歩いて行ける距離。この部屋が普通のホテルだったら、確実に2万5千円以上は取られるだろう。パーキングはそのマンションの敷地内にあるところを使えばいいと言われるが、すでにイベントパーキングに止めてしまったと言うと、高いのでもったいないと言われたが、こっちは場所がわからなかったし、どうしようもなかった。ホテル内の駐車場は、翌日から止めることにしてもらった。設備も、立派なキッチンに、オーブンや電子レンジも付いている。冷蔵庫も2ドアの立派なもので、いくらでも作りたい料理ができる。おまけに洗濯機や乾燥機もある。こんな場所だとわかっていれば、もっと違った使い方を考えていたのになと思う最高の場所だった。それにしても、なぜここはAirbnbには載っておらず、エクスペディアなのだろうかと思った。何か事情があるんだろうね。
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 センチュリー・リンクフィールドは、部屋の窓から見えるほど近かった。今回はチケットマスターの携帯電話出力のやり方で、チケットを買ったので、一応WiFiのつながる部屋でアクセスしてチケットのページを出しつつ、さらにスクリーンショットで保存もしておくという方法を取って出かける。プリントしなくていいという便利さはあるものの、どこにでもWiFiがあるわけではないというアメリカの携帯を持っていない人間にとっては、ヒヤヒヤものではある。
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 この日はNFLでも毎週1試合木曜日に行われるサーズディ・マッチの日で、相手はグリーンベイ・パッカーズ。それなりに注目が予想されるカードが組まれているわけだ。相手がパッカーズであることで、試合はおもしろくなるだろうが、チケットはとにかく高騰する。NFLのチームでも特にグリーンベイ・パッカーズのファンは熱狂的で、アウェイゲームでも地方に積極的に出かけて応援するパッカーズファンの需要が、それぞれの街にはできている。ホテルだってその期間は高くなるという感じ。特にチケットはすさまじく、今回自分が買ったのは、3階席のチケットだが、200ドル以下では買えなかったくらいだ。

 最初は目を疑った。シアトルの人間には冬はフットボールチームしかないから、熱狂的でチケットが高騰するのかと思った。でも調べてみると他のチームとのカードでは、それほど高いという値段ではない。やはり原因はパッカーズ戦だからということだ。同地区同士の対戦カードなら、相手チームのファンだって、ちょっと足を伸ばしたら来れないところでもない。しかし、違うカンファレンスだったり、遠方のチームだと、よっぽどの人気チームでないと、相手ファンはわざわざ見に来ない。でも、グリーンベイ・パッカーズのファンは違うのだ。必ず一定数のファンがどこにでも駆け付ける。試合だって、QBのアーロン・ロジャースなどスタープレイヤーが揃い、大崩れすることはないから、ゲームだって見ごたえのあるものになる。思えば、数年前にテネシー・タイタンズのホームゲームのチケットを購入しようとした時も、同じく3階席でも200ドル以上するようなものすごい値段になっていたのだが、その時も相手チームはパッカーズだった。

 自分が買ったのは、エンドゾーンよりのブロックの3階席の真ん中の列だったのだが、それでも200ドルをちょっと超える値段。一番安く売っていた穴場のチケットでそれである。センチュリー・リンクフィールドは初めて行く会場なので見てみたいという思いはあったが、最上の3階席ブロックの真ん中辺りで、それで楽しめるものなのかという思いと、しかもセンチュリー・リンクフィールドはドーム球場ではないので、結構寒いだろうなという不安があって、実は出発直前までチケットマスターのサイトを見ながら、もうちょっと安い席が出ないかなとチェックをしていたのであった。それ以前にチームが連敗とかすればチケットを売る人間も多くなるはずだが、なかなか負けないチームでもあって、値段は下がらない。

 シアトルにいるので、15日は八村塁のいるゴンザガ大学のホームゲームもあったので、そちらに行くことも考えたりしたが、ゴンザガ大のあるワシントン州スポーカンへは、車で4時間以上かかることが判明。飛行機で行く距離だなと思ってやめた。バンクーバーからシアトルに行くよりも遠いって、ほんとにものすごい田舎なんだろうね。スポーツや勉強に打ち込むにはいい所なんでしょうが。

 チケットマスターのサイトを見ていたら、出発2週間前に自分が買った値段よりちょっと高いくらいで、3階席の1列目が売っていることがわかったので、迷わず購入する。しかし、ここで大問題が発生した。その前に買っていた3階の真ん中の席のチケットを自分では売れないことが発覚した。GO MOBILEという携帯電話に出力するチケットの場合だと、これを売ろうとした場合、米国、もしくはカナダに住所があるクレジットカードだったり、銀行の口座を持っていないとチケットを売ることができないのだ。チケットマスター以外の他のチケットサイトの場合は、これまでの紙のチケットなら、バーコードの番号だったり、PDFをアップロードして売ることならできた。だが、このGO MOBILEで一度出力すると、紙出力に変更することは一切できないようなのだ。

 大失敗というか何というか、このままではどうしようもできずに200ドルが紙切れになってしまう。1つだけ携帯出力のチケットでも売れるサイトを見つけたが、ここはアクセスがどうにも少なく、売れる気配すらない。ここからどうしたか、それはちょっと言えないが、エライ目に遭った。何とかして米国の銀行口座だけでも持っておきたいと切に思った日々であった。しかし、米国住所のクレジットカードだったり、銀行口座がある分には、このGO MOBILEというシステムほど便利なものはないとも言っておこう。何せ自分のチケットをセンターに預けるだけで、余計な手続きは何もしなくていいのだから。値段は自由に決められるし、売れたら金額がそのまま入って来る。ただ、外国人には利用するのは難しい。むしろ、日本でもこのシステムをやってほしいと思ったくらいだ。何でチケットリセールが買った値段でしか売れないのか、買った方は手数料だってかかっているというのにさ。結局、日本では興行主さえ損をしなければ、ユーザーのことなど知ったこっちゃないのである。

 部屋からセンチュリー・リンクフィールドへのアクセスは抜群だった。2002年にできたスタジアムだけあって新しい。それまではシアトル・シーホークスは、キングドームというシアトル・マリナーズとの共用球場だったが、今、マリナーズは隣にあるセーフコ・フィールドを使っているので、フットボール専用の球場である。でも、何でドームにしなかったんだろうね。選手も見る方もつらいよ。かつてあったキングドームの屋根崩落事件(1994年)が尾を引いていたのだろうか。シアトルは高緯度だけど、雪はほとんど降らないみたいだからいいけど、やはり寒い。野球とフットボールのスタジアムが隣同士にあって、これにバスケットのアリーナがあれば立地として最高なのだが、シアトルにはNBAのチームはないんだな。
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 センチュリー・リンクフィールドは約7万人入る球場だが、 それほどのデカさは感じなかった。空が開けているからかな。3階席ではあったが、1列目で遮るものがないので、本当に見やすい席であった。実は自分たちの席の下の通路には、枠線だけが引かれた立見席というのがあって、そこはビューとしては確かに見やすいのだが、でも立見だからね。それでもここですら200ドルくらいで売られていたのだ。こわいなと思った。
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2018/11/14 The John Mellencamp Show 2018 @ Abbotsford Centre, Abbotsford, BC, Canada

 2018年は、11月の第3週に休みをとることにした。日本では連休の谷間週であり、アメリカのサンクスギビング休暇前に帰国するというパターンだ。確かにこの時期、人は多くないが、別に連休時と大して値段は変わらない。決め手となったのは、あの世界的バンド、フリートウッド・マックが、50周年のツアーをやっていたことだった(厳密には結成51年)。『Rumours(噂)』のアルバムがとにかく大好きで、いまだに聞いたりしたりするくらいなのである。70年代に大ヒットを飛ばしたバンドの中には、そんなに思い入れのあるものは少ないので、一番好きな人たちかもしれない。でもリアルタイムで流行っていた時代は、生まれてはいるが、まだ洋楽を聴くような年齢ではなかった。だいぶ経って昔の洋楽を聴いていくうちに、こんなにおもしろいバンドはないと夢中になった。リードボーカル兼ソングライターが3人もいるバンドなんて、自分は知らなかったし、当時大仰なギターソロをはめ込むバンドが多い中で、そういうのがなかった彼らに興味を持って、昔のアルバムも聴いていくようになったのだ。

 とはいえフリートウッド・マックは、日本では人気がない。この50周年のライブも、日本公演は多分行われないだろう。だからこそ、行く意味があるというものだ。日本では同年代にヒットを飛ばしたイーグルスやクイーンなどと比べると、その人気のなさは明白だが、アメリカではその人気はむしろ逆だと言ってもいいのではないだろうか。元はイギリスのバンドなのに、アメリカ色が強いとか、ブルースバンドだったのに、ロックや実験的なポップスをやったり、曲の雰囲気もボーカリストもコロコロ変わるようなところが、日本人には受け入れ難いのかもしれないが、私はむしろそこに魅かれた。80年代や90年代には彼らも来日してライブを行ったことはあったが、自分は行けなかった(当時はまだお金もなかったし、それほど昔の曲を知らなかった)。なので、何十年かぶりに今回のどこかのツアー会場に紛れ込んで参加するわけにはいかないかと考えた。

 そんな同時期にジョン・メレンキャンプが、なぜかカナダをツアーしていることを知った。しかもレジェンドアーティストなのに、大都市ばかりでなく、結構な田舎町でもライブを行うようだ(カナダと何かつながりがあるのかはよくわからない)。彼もいまだにアルバムを良く聴くアーティストで、特に『The Lonesome Jubilee(1987年)』が大好きなのは以前も書いたと思う。アメリカの象徴といえば、多くの人にとってはブルース・スプリングスティーンなのだろうが、私にとってはジョン・メレンキャンプだった。スプリングスティーンにはどこか大袈裟さやうさん臭さを感じたのだが、ジョン・メレンキャンプはただのラブソングではなく、アメリカの置かれた現状と凋落、インディアナ出身の彼が訴える農家の窮状、チャリティライブのファーム・エイドを立ち上げるコンシャスさが、彼の志向するルーツ・ロック、特にブルース色、R&B色の濃い音楽性と重なって好きだった。ジョン・メレンキャンプにしても、かつて来日公演はあったが、当時自分は行けなかった。ともに何十年か越しに初めて行くライブとなり、そこにあてはめれる予定ということで、11月14日カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州のアボッツフォードの公演に行き、11月17日にアメリカ、ワシントン州に渡り、タコマドームでフリートウッド・マックを見るというパターンに決めた。
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 カナダは去年も上陸したので、今年行くことに不安はなかった。しかし、バンクーバーやシアトルで、その前後にスポーツイベントなどがうまくはまったりするのかということには不安があった。ただでさえ、どちらもNBAのチームがもうなくなった都市である。調べると、11月15日の木曜日、サーズディ・フットボールに、ちょうどNFLシアトル・シーホークスが試合を行うことがわかった。これで腹は決まったと言っていい。あとは何かしらの予定を組み込めるだろう。

 カナダとアメリカの国境を移動するのは、外国人にとっては得策ではない。国境通過はとにかく待たされるものだし、日本人の自分は、別室で手続きをさせられることになる。今年、ジョン・メレンキャンプは、なんとブリティッシュ・コロンビア州だけで6か所も回るほどツアーを行っていたが、自分がバンクーバーから車で移動するとなると、結構、時間がかかりそうで大変な場所も多く(カナダでの車移動は、景色は素晴らしいと思うが、それを満喫できるのは1時間ほどで、あとはほとんど退屈な時間でしかないと踏んだ)、14日にバンクーバーに着いて、その日に1時間ほどで行けるアボッツフォードが最も現実的な選択だった。

 14日前後にバンクーバーでのイベントを探したが(フリートウッド・マックは同じ14日にバンクーバーのロジャース・アリーナで公演を行っていた)、先述のようにNBAグリズリーズはもうなくなったし、NHLのバンクーバー・カナックスは長期のロードに出ていた。11月18日からカレッジバスケットのイベント「バンクーバー・ショーケ-ス」があって(マウイ・インヴィテーショナルやカンクン・チャレンジのようにカレッジの有力校が集まってミニトーナメントをする大会の1つ)、それはチケットも安くて行きたいと思った。そこで、カナダに入国して、途中でアメリカに入り、またカナダにしばらく滞在して帰国するパターンを考えた。

 14日夜に羽田を出発し、同じ14日昼にバンクーバーに着くANAの夜行便があり、これは便利だと飛び付く。なぜかシアトルへの直行便は、成田からしかなく、しかも昼過ぎに出発する便しかなく、意外と使えないことが判明。15日にはシアトルに入るので、実質カナダには1日しかいないことになるのだが、仕方ない。16日以降をどうするかというところで、結局バンクーバー、シアトル含め、ワシントン州には大したイベントはなく、これまで行ったことはあるが、入ったことのない場所に行こうと、またインディアナ州に行くことを計画。ジョン・メレンキャンプを見たあとに、彼の故郷・インディアナに行くというのも乙なものだ。これまでタイミングが合わなくて見れなかったNBAインディアナ・ペイサーズのホームゲームと、インディアナ大学フージャーズのバスケットボールチームのホームゲームがちょうど見られることがわかったので、18日にシアトルからインディアナまで移動することを考えた。往復で飛行機は5万円ちょっとだから妥当な値段だろう。21日にインディアナからバンクーバーに戻って、22日に帰国するスケジュールを計画。ほんとにカナダにいるのは実質1日となった。バンクーバー・ショーケースは見たかったが、インディアナに行くとなったら眼中から消えた。

 今回の旅では大きな決断をすることになった。それは、これまでずっと使っていたハーツレンタカーをやめることだった。少し前まではレンタカーにGPSが付けられるのはハーツだけだったし、そのための恩恵を受け、ゴールドメンバーにも入ったりしたのだが、今回、バンクーバーからシアトルに入って、乗り捨てようとすると、ハーツではそのプランができなかった。「そんなこと、できないなんてことあるの?」と電話で聞いてみると、国境をまたいで乗り捨てられる車数は限られていて、もう可能な車がないという。バンクーバーからシアトルまで飛行機移動も考えたが、車で3時間ほどの距離であり、また航空券を買うのも面倒くさかった。そこで選んだのは、アラモレンタカー。アラモも、GPSをオプションで付けるサービスをやっており、幸運にもバンクーバーからシアトルに移動して乗り捨てるプランでも予約が可能だった。値段もハーツより安かった。もう今後はハーツから乗り換えかもという感じ。GPSも多分ハーツと同じメーカーの機械だろうし、操作には問題ないと思っていたが、これが実は違っていた。

 ということで、かなり変則的なプランを組んだ。14日の移動の際には、アメリカに入るESTAはいつものごとく準備していたのだが、実はカナダに入るためのETAを準備しておらず(航空券を取った時にそういうことは言われてなかったのだ)、空港で必死にネットをつなげて、その場で取得することに。まあ、それがきっかけではあるのだろうが、バンクーバー空港では目を付けられて、空港を出るのに異常に時間がかかってしまう。そりゃETAを取得したその日に、カナダに入るのだから不審がられるのも無理はない。別室で延々旅行の計画の説明をさせられるという面倒くさいことに。もう1日くらいバンクーバーで観光するプランを立てるべきだった。荷物もすべて点検させられ、その際にスーツケースで親指を切り、結構な出血までする羽目に。思えば、去年はデトロイトに先に入ってから車でカナダのウインザーへ移動したから、ESTAだけでETAを取る必要はなかったわけだ。

 しかし、それ以降は特に問題もなかった。今回借りた車は、日産のグレーのセントラ。よくあることだが、自分はコンパクトサイズで予約したのだが、もう車がないというので、ミディアムサイズに格上げさせられる。後でわかったことだが、結局あらたにクレジットカードで払う料金分があり、ハーツと値段が変わらないどころか、高いんじゃないかとわかる。と言いながらも仕方ない。ちなみにGPSはハーツとは全然違っていて、GARMINというメーカーの携帯タイプだった。操作は難しくないものの、ハーツとちがって「フリーウェイを極力利用しない」などのプランの選択ができない。これまでと違って、渋滞していますなどと言ってくれるのだが、そのタイミングが今言われてもという時で、なぜか代わりの道を選択操作ができないというよくわからない機械だった。
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 カナダの交通ルールは、去年も走ったが何も変わらないので、ここがアメリカなのかカナダなのかもよくわからない感じになる。バンクーバーからアボッツフォードへは大して田舎にもなるわけでもなく、予定通り1時間ほどで着く。別の町というよりバンクーバーの延長線上の町という感じ。この日は、ホテルもアボッツフォードで取った。会場のアボッツフォードセンターに一番近いところを選んだのだが、やはり歩いていくには遠い。ホテルの人に聞くと、歩いて行くのは車で行く道しかないからやめた方がいいという。たまたまホテルの隣にウォルマートがあったので、カナダの田舎は、夜、店も開いてないかもしれないと、今日の夜ごはんと明日の朝ごはんを買っておく。会場の駐車場でお金を取られる心配もあったので、手持ちのアメリカドルからカナダドルの現金を作って車で向かう。いよいよ何十年かの時を経て、ジョン・メレンキャンプのライブに行くことに。

 ジョン・メレンキャンプ(当時はジョン・クーガーであり、それからジョン・クーガー・メレンキャンプと呼称が変わっていった)は、存在は1982年の”Hurts So Good(青春の傷跡)” や”Jack And Diane”の頃から知っていた。1985年のアルバム『Scarecrow』もよく聞いていた。特に、”Rumbleseat”と、”R.O.C.K. In The U.S.A.”(この曲の中で歌われているロックの偉人を調べたりもした)が好きだった。でも、私が一番打ちのめされたのは、アルバム『The Lonesome Jubilee』の先行シングルだった”Paper In Fire”のビデオを見た時だった。

 ジョンのバンドメンバー、白人のミュージシャン達が、黒人のコミュニティの中で、即興演奏を始めて、地元の黒人たちが加わって踊り出す映像。スラムではないが、決して裕福ではない南部の田舎町の一角。それがアメリカの現実を象徴しているようだった。曲はロックでありながら、トラッドでもあり、カントリーでもあり、ブルースでもあり、R&Bでもある、後でジョン自身が言っていたジプシー・ロックとしか言えない音楽に、当時、何てカッコいいんだろうと震えた。歌詞はブルーカラーの人々のどうにもならない社会と人生を歌っていた。ジョンはこのようなルーツロックをずっとやりたいと思っていたらしく、このビデオは、実際のジョージア州サヴァンナのストリートで収録が行われ、さらに黒人コミュニティの映像が随所に効果的に挟まれる構成となっていて、ビデオには実際に演奏された音が使われているという(とはいえレコード音源とほとんど変わらないのがすごい)。

 バンドは1980年代から変わらないメンバー、けたたましいドラムスのケニー・アロノフに、ギターのラリー・クレイン、同じくギターのマイク・ウォンチックはこのアルバムのためにドブロ・ギターをマスターし、ビデオでも演奏している。トビー・マイヤーズはウッドベース、ジョン・カセーラはアコーディオンを弾いている。そして、このアルバムで最も大きなインパクトを与えていたフィドルのリサ・ジャーマノ(カントリーではバイオリンのことをフィドルと言うとこの時知った)、味のある黒人女性コーラスのクリスタル・タリーフェロとパット・ピーターソン(バンジョーを持っている方)。アコースティックでありながら、ブルージーでありながら、高揚感のある、こんな刺激的な演奏があるのかと、当時バンドメンバーの名前を覚えるほどだった。アルバム『The Lonesome Jubilee』は、特にこの黒人女性のボーカルがいい感じにフィーチャーされていて、”Hard Times For An Honest Man”や ”Hot Dogs And Hamburgers”が大好きな曲だった。

 自分が洋楽を聴き始めた頃は、まだ日本ではブラックミュージックはマイナーな存在であり、意図して探して聴こうとしないと聴けないものだった。今のように日常生活の中にヒップホップがあるなんて考えられない時代。そんな中で、私は、白人ミュージシャンが取り入れているブラックミュージック的要素を嗅ぎ取って、次第にそちらへと渡っていったのだ。今から思うと信じられない話であるが、自分はU2マーチン・ルーサー・キングを知り、B.B.キングを知り、ジョン・メレンキャンプから、古いR&Bにのめり込んでいくことになる、彼はそんな音楽遍歴のきっかけを与えてくれた1人でもあるのだ。そうなると以降は、どんどん普通のロックがつまらなくなった。人間こうも変わるもんかと思う。

 80年代にジョン・メレンキャンプに感動した私は、アメリカに行ったらインディアナに行きたいと思って、学生時代の90年代に訪れて、彼の録音したスタジオ、ベルモント・モール・スタジオを探したりした。そして、最近になっても、NBAインディアナ・ペイサーズNFLインディアナポリス・コルツやバスケットの名門、インディアナ大学フージャーズを見るためにインディアナを訪れているというわけだ。そんな中での、今回、初めて彼のライブを会場はカナダではあるが、観れるという恩恵にあずかったのだ。

 後でわかったことだが、この”Paper In Fire”は当時、カナダのヒットチャートで1位になったらしい。ルーツ・ロックにさらに踏み込み、R&B色の強く出たアルバム『The Lonesome Jubilee』も、カナダでは1位を取ったらしい。確かにこういう泥臭い楽曲は当時のカナダのポップスにはなかったかと思うが、一体、何がカナダ人に受けたのかはわからないが、そういう経緯もあって、彼はカナダを精力的にツアーしているようだ。   
 
 会場のアボッツフォードセンターはこじんまりとしたホールだった。そして、客はほとんど全員が白人だった。アジア系どころかラテン系の人すら見かけず。ジョン・メレンキャンプ自身は、ブルースやR&Bにもアプローチしている音楽性の人だが、結局、今も聴いているのは、白人層ばかりということなんだろう…。去年、カナダのウィンザーでは、ホール前の駐車場も普通に無料で止まれたから、金は取られないじゃないかと思いながら、ホールの向かいにあった大きめの駐車場に止める。パブリックパーキングには違いないようだ。枠には番号が書いているのだが、料金を払う場所がない。他の車を止めているお客さんたちもお金を払っている感じではなかったので、大丈夫なのかなと思いながら会場内へ。 ホールの中に入って、駐車場の支払いの機械があることに気付く。そういうこと? 確かに払っているお客さんもいる。でも、自分が駐車した所の番号を忘れちまったよ。違った番号を入れて、人のスペースの金払うのも嫌だしね。なんか駐車場の映像とか記録されているのかなとちょっとビビる。 
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 アボッツフォードセンターは、カナダのホッケーチーム、アボッツフォード・ヒートのホームアリーナであったところで、使われるのはホッケーのゲームなどが多いのだろう。ただ、こじんまりしたホールであるので、今回のライブは前方に小さなステージがあって、そのままアリーナ席とスタンドを使うだけ。多分、アリーナフロアの客を入れても1万人も入らない感じ。もうちょっと大きい会場ならば、モニターが用意されたりするのだが、そこまでの広さじゃない。自分が買ったチケットはアリーナフロアの後方ブロックの前方ではあったのだが、ステージまでは遠い。しかも、ホッケーアリーナだから傾斜があるわけではないから、どうにも見にくい。そしてカナダ人(アメリカ人)は背も高いから、なかなか写真もちゃんと撮れないだろうという予測はできた。
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 その予測は的中することになる。去年、デジカメが壊れて、新たに買ったデジカメを落として盗られたという教訓から、もう今年はデジカメを買わずに、携帯だけで写真を撮ろうとしたのだが、画質的には変わらないのだろうが、ピントの合わせなどが難しく、うまい具合にキレイに撮れないのだ。いまさらしょうがないことなのだが。それにしてもステージが遠いな~。
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 開演時間を10分くらい過ぎて、始まった。最初はビデオが会場に流れた。これまでの生い立ちやキャリアを紹介するもので、わかっているとは言いたいが、気分は盛り上がる。そして、ジョン・メレンキャンプ本人の登場。すでに写真などで見てわかっていることだが、本人は当時と比べて太っていて、声も昔に比べればダミ声のレベルが大きい。1曲目は、最近のライブの定番になっている”Lawless Times”。ブルースというかフォークというか渋すぎるスタイル。そしてロバート・ジョンソンのカバーまで演るのだから、本当にこういう音楽が好きなのだろう。それでも90年代の来日の時には行けなくて、ようやく見れた姿である。そんな中で、昔、聴いていた曲が、ようやっとしてから、あの曲かいなと気づく感じで登場する。”Minutes To Memories”に”Small Town”、会場からあらためて歓声が上がる。もう彼はコンサートをしなくとも十分に生きてはいけるだろうに、それでもこうやってライブをしているのだから、すごいものだ。
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 その答えはなんとなくわかった。曲の合間のしゃべりが割と長いのだ。そして、トランプ政権への悪態と皮肉を散りばめてくる。会場はややうけ的な感じ。聞いているのは、カナダ人なのにさ。そうか、彼はこうして歌って、しゃべるのが大好きなんだろうなと思う。だからこそ、いまだにファーム・エイドをやり続けているのもわかる。定期的にツアーをやるわけではないし、メディアに出るわけでもないが、こういうライブが彼の息抜きでありガス抜きにもなっているのだろうと思った。
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 現在も新曲を精力的にリリースしている彼は、再び最近の渋い路線曲を演奏したかと思うと、昔の曲も惜しげもなく披露する。”Jack & Diane”だってアコースティックで歌う。”Check It Out” ”Lonely Ol' Night”も、ただ当たり前だが、当時のレコードとは明らかにちがうアレンジではある。大好きな”Paper In Fire”も、フィドルの人がちゃんといるので申し訳ないが、あの頃の鬼気迫るような印象はない。それでも私にとっては何物にも代えがたい時間。ただ、”Authority Song”のような特別な曲は、あの頃のイメージを壊すからやらなくてもいいのに、とか思ってしまった。「権力と闘いつづけるが、権力がいつも勝つ」という歌だけに、当時の若い頃の気持ちで、今この曲を聴ける人間がどれくらいいるのだろうか?と思ってしまう。しかし、そんなことを気にすることもなく、ジョン・メレンキャンプは平気で歌っている。こういう風に思うのも、まだまだ自分は人生を達観できる年ではないということか。観客は普通に一緒に歌っていた。
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 最後にバンドメンバー紹介。でもラリー・クレイン(ギター)も、ケニー・アロノフ(ドラムス)も、トビー・マイヤーズ(ベース)も、リサ・ジャーマノ(フィドル)もいない。あの頃のメンバーで残っているのは、ギターのマイク・ウォンチックだけ。ひときわ大きな拍手が起きる。40年以上ジョンと一緒にやっているのは、もう彼だけだ。トム・ペティにおけるマイク・キャンベルのように、彼がいればメレンキャンプは作品を出し続け、ライブを行うことができるだろう。
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 時間にしてちょうど2時間程度か。アッという間ではあった。ただ、このアボッツフォードで、今年のツアーは終わりのはずだが、後でセットリストを見ると、他の会場と全く違わない楽曲群であり、なんかサプライズの1つでもなかったのかなという残念さは感じた。とはいえ、来年は2月から全米各地を回るさらに長いツアーがあるようだから。そして、撮った写真は、あまりにも遠くて、手前の客を切ることができずピントも合わず、ロクな写真になっていない。また、どこかで彼のライブを観れることがあると信じる。会場ではTシャツなどは売っていたが、あまりいいデザインのものがなく、買うのはやめる。後でホームページを見てわかったのだが、このカナダツアーにはVIPパッケージのようなものもあったらしく、最前列の席で、サイン入りリトグラフや限定グッズが付いてくるものらしい。でも、本人と会わせてもらえるようなことはないのかと思いながら、自分はそんな前から予定を決められないから結局買えるわけないなと思った。

 結局、駐車場のお金は払わ(え)なかったが、問題なく出ることができた。アボッツフォードセンターの近くの街は、特に観光するような場所もなく(フレイザー・バレーという大学の近くらしいが、すでに周りは真っ暗だった)、そのまま余韻だけ味わい、ホテルに帰る。

2017/11/6 New York Rangers vs. Columbus Blue Jackets @ Madison Square Garden (NHL Ice hockey)

この日は、朝を迎えるまでは、何事もなく帰国するはずだった。飛行機の予定は9時。今回はデトロイトから入国したので、一度国内線でデトロイトに移動してから、国際線で帰ることになっている。ブルックリンからJFK空港までは、普通なら1時間あれば余裕で着けるはずだ。一応、朝5時半過ぎにはホテルをチェックアウトしたと思う。思えば、このタイミングが問題だったのかもしれない。

ホテルを出た先のバレットパーキングのブースには、担当者がいなかった。今から思えば、ちょうど交代のタイミングだったのかもしれない。しばらく待っても来ないので、ホテルのフロントに言って呼んでもらった。ようやく人がやってきたので、車を出してくれと頼む。無線で連絡をしても、駐車場の現場の方に担当者がいないらしく、では、自分が車を取ってくると言ったので、待つことにした。しかし、これが5分待っても10分待ってもなかなか来ない。なぜか、この時間帯には、同じホテルの客で、このパーキングを利用している客もいなかったのだ。もう一度、ホテルのフロントに、車が来ないんだけどと言ったように思う。すると、ようやくさっきの人間とは別の人間がブースに入ったので、その人間に自分の車が来ないんだけどと言うと、すぐ来るから待てと言う。  しかし、これがまた5分待っても10分待っても来ない。 そうこうしているうちに、同じホテルの客らしき人物が、新しい担当者に車を呼んでくれと頼んでいた。この時すでにもう6時を回っていた。一体どうなっているんだという感じだった。

先にも記したように、このホテルは奥まった通りの中にあって、駐車場からはここまでは少し距離があるのだろう。しかし、それにしてもこの駐車場は人をなめている。これがブルックリンのシェラトンの客への扱いである。表向き、ホテルとパーキングは別の会社ではあるが、でも、このパーキングはホテルの客で成り立っているはずだ。思えば、ホテルから出た大きな通りの2,3軒先ににパーキングのビルがあったことを思い出し、そこにセルフで駐車しておけばよかったと何度も嘆いた。

すると、ホテルの前に止まった車がある。なんと先ほどの新しい担当者に車を頼んだホテルの客の車であった。ほんとに頭にきたので、どうなってるんだと言って、飛行機に遅れたらどうするんだと担当者に言った。すると、新しい担当者は、もう一回向こうの現場に連絡したようで、すぐ来るからみたいなことをまた言う。それからさらに5分以上待ったと思う。ようやく自分の車がやって来た。なんと車を運転してきたのは、自分が車を頼んだ人間とは全く違う担当者だった。本当にどうなってるんだと、この時ばかりは悪態をついた。すでに時間は6時20分を回っていたと思う。もう順調に運転できて着いて、何とか間に合うか間に合わないかの時間帯だった。

ホテルに文句を言って何とかなるもんでもないと思ったので、空港まで飛ばして急ぐしかないと思った。しかし、もう辺りは明るくなっていて、交通量はかなり多くなっていた。飛ばそうと思っても遅々として進まない区間が多い。道に迷うことはなかったが、自分の場合、レンタカーを返さなければならないのだ。そして、レンタカー返却所がまた混んでいて、なかなか自分の担当が来ない。さらに、待っていた空港へのシャトルバスは、自分が乗ろうとした直前に出発して、1本待つことに。結局、空港に着いた頃には8時前だったと思う。機械でチェックインをするが、またカウンターが行列をなしていて、荷物を飛行機に積む時間に間に合わず、去年と同じく、予定していた飛行機に乗れないという悪夢を味わうことになった。もう本当に私はニューヨークが嫌いだ。何でこんな目に遭わないといけないのだろう。

後で調べたが、時間の決まっていない交通機関には遅れたところで、遅延証明が出ないものは、保険金も出ないのだ。そもそもパーキングだから交通機関ですらないのだけれども。元々、デトロイトでの乗り継ぎは2時間もなかったスケジュールだったので、デトロイトへの便を変更すると、帰国日も翌日になってしまざるを得なかった。そもそも格安チケットなので、ニューヨークからの直行便ならいくらでも帰れる便はあるのに、デトロイト経由で帰らないといけないのが悲しいところだ。そして、変更手数料も4万円ほどかかった。まさに最悪とはこのことだ。

どうせなら、ここでせっかく楽しまなければならないとと思った。最初はデトロイトにこの日のうちに早めに移動することを考えて、便のあるラガーディア空港へ向かったが、色々調べるうちにデトロイトには、この日大したイベントはないことがわかり、ニューヨークにもう一晩泊まることにした。しかし、もう車はない。あらたに1日車を借りるのももったいないので、地下鉄で移動できるところにする。選んだのは、ロングアイランドシティ。ロングアイランドとも言っても、あのロングアイランドではなく、クイーンズとブルックリンの間、マンハッタンの対岸にある場所である。ここは意外とホテルの値段も高くなく、地下鉄の接続が便利な穴場だということがわかった。ただ、車があったら、ここを選んだかというと微妙だ。

そして、この日選んだイベントは、NHL、ニューヨーク・レンジャーズのゲームであった。相手はコロンバス・ブルージャケッツ。場所はおなじみのマディソン・スクエア・ガーデンである。ここ数年、NHLのゲームはなかなか見れなかったので、実に久しぶりだ。本当は先述のようにバークレイ・センターに行きたかったのだが、この日はゲームがなかった。空港でネット接続し、取ったホテルには、スーツケースがあったので、タクシーで向かう。

すでに何やかんやと午後を過ぎていたので、早いかなと思ったが、ホテルにチェックインできた。ネットに接続して、Stubhubで取ったチケットをフロントでプリントアウトしてもらう。ほんとにたった数時間で何とかなるもんだと納得。しかし、ただでさえ、1日帰国が伸びてかなりの出費となったので、チケットは100ドル以下の安い2階席を買った。アイスホッケーの場合はかなり見づらいのだが、そこは我慢することに。

ゲームまで時間があったので、昨日、時間がなかったブルックリンを探索。さらに一昨年、Stubhubで買ったチケットを売り直して得た、払い戻し金のチェックを換金して受け取る。チェックは、ウェルズ・ファルゴ銀行のものだったのだが、なぜかデトロイトにもフィラデルフィアにもウェルズ・ファルゴ銀行の支店がなく、この日そのまま帰っていたら、結局換金できずに紙切れになっていただろうものだった。払い戻し金は100ドルちょっとだったが、結局手数料を取られ90ドルちょっとに。それでも戻ってきただけマシだった。おそらく他の銀行でも換金できたかもしれないが、余計な手数料がむちゃくちゃ取られたかもしれない。

夜になってマディソン。スクエア・ガーデンに向かう。もう何度ここに来たのかわからない。スポーツの殿堂とか何とか言うが、実際ゲームの世界では実在のこの名前を使わせてくれない鼻持ちならないアリーナでもある。ニューヨーク・レンジャーズの試合を見るのは、おそらく3,4度目くらい。レンジャーズは、2014年にまさかのファイナル進出したものの、最近はプレイオフには進出するも、あまり芳しい成績を残していない。今シーズンはここまで6勝7敗2分と黒星が先行している。
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対戦相手のコロンバス・ブルージャケッツ。2000年にミネソタ・ワイルドとともに誕生したエクスパンションチームであったが、ここまでプレイオフにもなかなか出れず、出ても1回戦敗退と低迷の続くチームである。しかし、今シーズンはこれまで9勝4敗1分と出だし好調である。今シーズンは、NHLに17年ぶりに新たに生まれたチーム、ラスベガス・ゴールデンナイツがシーズンスタートから快進撃を見せており、まさに彼ら新チームに負けるわけにはいかないと刺激を受けている感じにもなっているようだ。
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NHLの客の入りはもうずっと良くない状態が続いているらしいが、やはりガーデンは特別だ。空席はほとんど目立たない。でもチケットが取りやすいのは確かで、この日、自分が取ったのは2階席の2列目だったのだが、何と2階席の最前列の席には専用の小さな液晶モニターがあって、それを自由に動かして見れるようになっていた。空いていれば、そこを取るべきだったなと後悔。でも最前列ならそんなモニターがなくても遮るものがないから見やすいはずで、最前列ばかり優遇されているようで、こりゃダメだなと思った。
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今年はオリンピックイヤーであるから、NHLは通常ならばシーズンをその期間休止して、選手は母国代表に戻っていいシステムを形作っていたのだが、平昌のスタッフはバカなのか、NHLと協定を結ばなかった。そのためNHLはシーズンを休止せず、選手たちにも母国代表に加わることを認めなかった。そのためオリンピックにどうしても出たい選手は、NHLのチームと契約しない者も現れた。結局、オリンピックで世界的に一番盛り上がる競技であるはずのアイスホッケーがどうにもつまらないもので終わってしまい、NHLの方もオリンピックで活躍した選手が注目されてさらに盛り上がるという効果も生まれず、双方、何も得をしないという最悪の結果になってしまった。

試合前にはニューヨーク・レンジャーズフォワード、リック・ナッシュ選手のNHLゲーム1000試合出場のセレモニーが行われた。実はリック・ナッシュは、当初コロンバス・ブルージャケッツで華々しいキャリアを築いてきた選手。だからこそ、古巣との試合の時にこういうセレモニーをやるのが、粋な計らいである。しかし、リック・ナッシュはこの試合、大した活躍ができず。そして、この時はそんなことになると考えもしなかったのだが、レンジャーズは、2014年のファイナル進出の立役者である彼を、今シーズン、トレードでボストン・ブルーインズへ手放す決断をする。運命というのはわからないもんだ。これまでニューヨーク・レンジャーズには、他チームで活躍した選手が色々と移籍してきたが、そこはニューヨークという土地のプレッシャーからか活躍できずに終わった人も数多い中で、結果を残したナッシュが去るという時代が変わる境目になったようだ。
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試合が始まった。しばらくNHLを見ない間にだいぶ選手も代わっているので、ついていけない部分もありながら、やはり大学のアイスホッケーとは違うスピードと迫力をひしひしと感じた。コロンバスで躍動していたのは、かつてはレンジャーズにいて明らかにフィットしていないように見えたセンターのBrandon Dubinsky。時代の流れを感じるね。実はこのニューヨーク・レンジャーズコロンバス・ブルージャケッツの対戦は、スウェーデン代表になったヘンリック・ルンクイストとロシア代表にもなったセルゲイ・ボブロフスキーというNHLを代表する名ゴーリーの対決でもある。第1ピリオドは、シュート数は4本に対して10本とニューヨーク・レンジャーズが明らかに押していたが、双方無得点に終わる。
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しかし、第2ピリオドが始まってすぐ、大きく流れがブルージャケッツへと変わる。レンジャーズのゴール後ろでの攻防から戻されたパックをArtemi Panarinが一瞬の隙をついて押し込み、先制ゴール。さらに4分後には縦に出されたパスを、コロンバスのジョッシュ・アンダーソンが速攻でゴール左に押し込むショットで0-2とリード。名手ルンクイストがこんな形で決められるとはと驚いたゴールだった。レンジャーズにとっては我慢の時間が続くが、12分にディフェンスにチェックされたレンジャーズのセンター、J. T. Millerが倒れ込みながらもセンタリングして出したパックを、Micheal Grabnerが合わせてゴールし、1点を返す。これにはボブロフスキーも反応できず。
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すると、第3ピリオドになり、流れはレンジャーズへ。コロンバスはファウルトラブルに陥り、レンジャーズのパワープレイの時間が増える。アイスホッケーはペナルティを取られると、選手がペナルティボックスに入ることになり、相手チームの数的優位が生まれる。これこそがゲームの行方を左右するホッケーの面白さでもある。このゲームこそ、そのパワープレイで試合が決まったと言えるゲームだった。5分、パワープレイで攻め込んだレンジャーズは、ディフェンダー、Kevin Shattenkirkのミドルショットが、ゴール右に突き刺さり、これで2-2の同点。誰かがスティックに当ててコースを変えたようにも見えたが、ビデオを見ると当たっていなかった。うまい具合にオフェンスとディフェンス選手の間を抜けて、ゴーリーの死角となったようだ。
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だが、好調のブルージャケッツは死んではいなかった。3分後の第3ピリオド8分、また先ほどのようなゴール後ろの攻防から一瞬戻されたパックを、Oliver Bjorkstrandが押し込む形で、コロンバスが2-3と突き放す。しかし、その1分後、また不用意なペナルティでパワープレイを与えてしまったブルージャケッツ。フェイスオフから戻されてパックを、ディフェンダーがロングシュート、ボブロフスキーは止めるが、そのこぼれ玉をすぐにChris Kreiderが押し込んで、わずか1分で3-3の同点に。
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すると、さらに2分後の第3ピリオド11分、またブルージャケッツのペナルティで、レンジャーズのパワープレイに。この日はパワープレイになると、すぐに試合が動く。左サイドでの攻防から右サイドにはじき出されたパックを、Pavel Buchnevichがゴール右へ入れ込んで、4-3となりついに逆転。ボブロフスキーは右サイドが全く見えてないのかと思うほどガラ空き状態だった。今日は調子が悪かったようだね。
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それからは一進一退の攻防が続くも、ブルージャケッツはレンジャーズのゴールを割れず、最後はゴーリーを引き上げた全員攻撃のエンプティネットの状態でパックを取られて、Micheal Grabnerに押し込まれた、この日2点目のダメ押しゴールで、5-3で試合終了。このレンジャーズの第3ピリオドの3点に何気に全てからんでいたのが、レンジャーズのセンターMika Zibanejadだった。彼が今後の新たなレンジャーズの顔ということになるのだろうか。いずれにしても今シーズンの不調を帳消しにするかのようなレンジャーズの快勝ゲームだった。
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しかし、その後のニューヨーク・レンジャーズはと言えば、先述のようにリック・ナッシュ、そして Micheal Grabner、J. T. Miller をも放出するという大改革に出たものの、2010年代で初めてプレイオフを逃し、勝率5割を切るという散々なシーズンとなってしまった。一方、コロンバス・ブルージャケッツは今シーズン、プレイオフに進出するも、これまでと同じく1回戦敗退。

一方、今年加入したベガス・ゴールデンナイツは、エクスパンションチームで最初のシーズンでスタンレーカップファイナルに進出という輝かしい結果を残したチームとなった。あわや優勝するのではないかという勢いに乗るチームの夢を砕いたのが、ロシアの天才、アレックス・オベチキン率いるワシントン・キャピタルズだった。ワシントンは1974年の球団創設以来始めての優勝、そしてオベキチンはNHLに加入して13年目にして悲願の初栄冠というNHLでも記念すべきシーズンとなった。ホッケーの圧倒的な才能であるオベキチンもNHLで優勝するのに、これほどかかったのだ。私自身もこれからもまたちゃんとNHLをチェックしようと思った年でもあった。しかし、こんなにおもしろいのに、なかなか陽の目を見ることがないんだよね、NHLは。情報もなかなか入って来ないし。

翌日は、一転して何の問題なく無事に帰国した2017年の旅。私がちゃんとニューヨークに適応できる日は来るのだろうか。ニューヨークで車を運転しなきゃいいのか。いずれにしても、しばらくはニューヨークに行きたくないんだが。余談だが、帰りの飛行機でも、行きと同じように「菊の会」という日本舞踊?のオバサマ方の集団に遭遇する。向こうはアメリカ公演で1週間も行くんだね。実はこの方々の舞台衣装など?を運ぶ大量のスーツケースが、自分のものと全く同じ色で、バゲッジクレイムに同色のスーツケースがあふれて、間違えられて自分のものを持って行かれやしないかと、行きも帰りもヒヤヒヤした。それはそうと、2018年も同じようにまた旅行ができるのかどうか、心配だ。

2017/11/5 Pathway To Paris @ Stern Auditorium Carnegie Hall, NY

いよいよニューヨークだ。フィラデルフィアフットボールのゲームから急いで移動したのには理由があった。それはこの日行われる、Pathway To Parisというイベントのチケットを買っていたからである。これは地球温暖化への警鐘を鳴らすためというのが目的としてあるのだが、主たるものは音楽コンサートである。この出演者がまたすごい。パティ・スミスジョーン・バエズマイケル・スタイプ、フリー、タリブ・クウェリ、キャット・パワーなど、ジャンルも多岐に渡る人達で、彼らがどんなパフォーマンスをするのか、共演をするのかということを含めて予想のできないもので、たまたまこのチケットが売られているのを見て、これは見ておくべきものだと思って買った次第である。こんなイベントこそ、まさにニューヨークでないと出くわさないものであり、しかも行われるのがあのカーネギー・ホールである。まあ、一生入ることもないかと思っていたカーネギー・ホールに入れるというだけでも儲けものかもしれないからね。
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Stubhubで情報を知って、値段は変わらなかったので、チケットはオフィシャルサイトで買った。カーネギー・ホールのスターン・オーディトリアムというホールだが、クラシックの仕様では当たり前なのか、なぜか2階席とか3階席とかの方が値段が高くてよくわからない。1階席の方が安かったので、後方ではあったが迷わずそこを買う。80ドルだから妥当な値段か。寄付すればカーネギーホールのメンバーになれるというので、数ドルだけ上乗せして買った。またここに来ることがあるかと言えば、ほぼないだろうと思ったのだが。

ニューヨークへの移動は毎回、道が混んでいて、ちょっとした曲がり角とかを間違ったりして、いつも迷う。翌日は帰国する予定で、飛行機はJFK出発だったので、今回初めての試みだが、マンハッタンには泊まらず、ブルックリンにホテルを取ることにした。その方が移動も近くて楽だろうし、マンハッタンの渋滞に巻き込まれるのが嫌だった。ブルックリンといえども、ホテルの値段はマンハッタンより少し安いくらいで、やはり高い。聞いたこともない名前のホテルが、すごく老舗の一流ホテルだったり、ただのなんでもないクソホテルだったりもするから、きちんと下調べをしないといけない。そして、ニューヨークのホテルだけは、各旅行会社やサイトに強いところやパイプのあるところが全く違ったりするので、それぞれのサイトの値段をきっちりと確認した方がいい。トリバゴなどの比較サイトをただ信用してはいけないのだ。

今回選んだのはCtripというサイトで、ブルックリンのシェラトンが15000円くらいで取れたので決めた。調べたらCtripは、中国の旅行サイトで、信用できるかどうか不安ではあったが、微妙にエクスペディアより安い値段とかを提示している。Ctripは今でこそトリバゴとかにも入っているようだが、この当時は入っていなかった。安くおさえなければという背に腹は変えられず、ここで決定する。自分の場合は、駐車場がすぐ近くにあるとか、地下鉄の駅がすぐ近くにあるとかの条件も必要だったのだが。結果、Ctripには何の問題もなかったが、このシェラトンブルックリンが、なかなかの安っぽいホテルで、後でエライ目に合うことになるのである。マンハッタンじゃないと、ここまで待遇が変わるかというものであった。ホテルはブランドだけでは信用してはいけないという一つの教訓を得た。

Pathway To Paris のイベント開始は19時からになっていた。こういうイベントだから、通常のライブのような前座はないはずだ。ほぼ定刻に始まると思っていい。結局、リンカーン・フィナンシャル・フィールドからホテルに戻って、車で出発した時には17時を回っていて、ブルックリンには問題なく18時過ぎには着けたのだが、ホテルがちょっと奥まった場所にあってわかりにくく、迷いながら着き、さらに車をヴァレット・パーキングに預けるまで待たされて時間がかかり(思えばこれが悪夢の始まりだった)、部屋にチェックインして(これがシェラトン?と思う普通のビジネスホテルな部屋だった)、マンハッタンへは車では面倒くさいので、地下鉄で移動しようと決めていたので、近くのバークレイ・センター駅で乗り込む時には、すでにほぼ19時前になっていた。

今回、ブルックリンに泊まったのには、一度バークレイ・センターを見てみたかったというのもあった。NBAのブルックリン・ネッツのホームアリーナである。いつもなかなかタイミングが合わず、ニュージャージー・ネッツの時代から、このネッツのホームゲームだけはこれまで見れないでいた。ご存知のように、JAY-Zがオーナーの1人となって、ニュージャージー・ネッツはブルックリンに移転した。そのホームアリーナとしてバークレイ・センターが作られたのだ。この日はNHLアイスホッケーのニューヨーク・アイランダーズのゲームが行われる日で、もう人が出入りしていた。実は、ネッツがブルックリンに移転してから、ニューヨーク・アイランダーズのホームアリーナも、ロングアイランドのクソ遠いナッソー・コロシアムから、このバークレイ・センターに変わったのであった。あれ、ニュージャージー・デビルスはどうなったのと思う人がいるかもしれないが、デビルスのホームアリーナはかつてのコンチネンタル・エアラインズ・アリーナ、現在はプルーデンシャル・センターと名前は変わってはいるが、場所はそのまま変わっていないのだ。どちらかと言えば、ネッツはニュージャージーに移転する前のニューヨーク・ネッツの時代から、ニューヨーク・アイランダーズとはホームアリーナを共有していたような近い間柄らしく、本来の姿に戻ったとも言えるようだ。
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Pathway To Paris のイベント自体がなかったら、間違いなくこの日はニューヨーク・アイランダーズのゲームをここで見る予定だったので、バークレイ・センターの中に入ってみたかったな、売店くらい行っておけばよかったなと思いつつ、後ろ髪をひかれる思いで、地下鉄に乗り込みマンハッタンへ。日本の携帯は電波がつながらないので、GPS表示はちゃんとは出ないが、今回借りたレンタカー用のスマートフォンのナビを持って出かけた。これはなかなか使えるなと思いながらも、やはり車の移動用のものを徒歩の移動に合わせるのは無理があるようで、通りをいくつか間違えながらカーネギー・ホールに着く。やっぱり格式が高い建物だ。なんだろう、ここで本当に音楽イベントが行われるのか、なんか違うイベントじゃないかとも思うようになり、選択を間違ったかもしれないと不安になってきた。すでに20時前だったので、途中で入場する奴なんて自分しかいないし、はずかしい。イベントは当然始まっていた。
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入ってみると、いきなり得体の知れない叫び声のようなものが聞こえた。いよいよ会場を間違ったかと思ったが、当然ながら間違ってはいなかった。後でわかったのだが、このイベントに出演するチベット人楽家、Tenzin Chogyalの歌だった。さらにおばあさんのチベット人のコーラス隊が入場しての演奏が始まった。あっ、こういう感じのイベントだったのね、という印象。ちなみに周りの客は白人ばかり。しかもかなり年を召したおじさまおばさまが多い。そして、この日もやはり写真は、デジカメがないので携帯で撮っている。画質はやはりうまいこといっていない。

この日のPathway To Parisのイベントだが、Facebookライブストリーミングがあって、なんと全編が公開されていた。これだったらわざわざ見に行かなくてもよかったとすら思うが、そこは仕方ない。むしろ、このライブストリーミングを見てから、このイベントの全容がようやく見えてきた。

わかったのは、自分が入場した時はすでにイベントが始まって1時間半くらいたった頃だったこと。そして、イベントの最初の方に、パティ・スミスマイケル・スタイプ、そしてレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーのパフォーマンスがあり、すでに終わっていたことに後で気付いた。マイケル・スタイプは、ナット・キング・コールリンゴ・スター、ヴェルベット・アンダーグラウンドの曲などを歌い(他人の曲でも自分の曲のように聞こえるのはさすがだが、自分の曲は歌わないのねという感じ)、フリーはベースのシュールな独奏で、なんとパティ・スミスが詩の朗読で加わるというおもしろいものだった、これは生で見ておくべきだった。

そういう環境のイベントだからなのか何なのか、ステージは楽器を置いているだけの簡素なもので、何の装飾もない。ミュージシャンは最低限の数しかいなく、音が特別いいように聞こえるほど凝った作りでもない、ミュージシャンにしても、自身のコンサートのように真剣に歌うわけでもない、わざわざカーネギーホールでやる意味があるのかと思うくらいよくわからないものだった。 
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全体を通して見ると、チベット人楽家 Tenzin Chogyalのブロックはかなり異質なもので、いきなり自分はそこで合流したわけだった。でも地球温暖化の問題を取り上げるならば、結局はアメリカ、中国という大国が対策をしないとどうにもならないわけで、彼らの音楽自体は関係ないのだが、そこでチベットを取り上げるというだけで別の意味に取られてしまうならば、もったいないなと思った。

チベット人楽家の後は、Vandana Sivaというインド人環境活動家が登場。おおむねミュージシャンの後に、このような環境や気候の問題を語る人物が登場して話をする構成のようなもののようだ。ただ、話だけなので、特に写真や図を使ったり、冊子が配られているわけでもないので、何となく言っていることはわかるが、自分のように英語が完璧にわからない人間には、あまり意味のあるものではなかったことは確か。

マイケル・スタイプは司会者役をも兼ねているようで、度々登場した。しかし、自分は前にパフォーマンスをやっていることを知らないので、あれ歌ってくれないのか?という感じであった。その後、Olafur Eliassonという芸術家が登場し、自らが作ったというソーラーランプを灯そうと呼びかける。そのソーラーランプは座席の下に置いてあって、それを会場の客みんなが灯すという仕掛けだった。その模様がこのイベントを象徴する写真に使われる形になった。このソーラー・ランプ、太陽電池が付いていて、半永久的に使えるという環境にもやさしいエコなものだが、客みんなにくれるものなのかと思いきや、後で回収されるというオチがあった。いや、くれるんじゃないの? 客がそれぞれ持って帰って使うことで、環境の意識を広げる意味があるんじゃないの?と思いつつ、だったら売れば何人かは買うんじゃないの? などとよくわからない思いを噛み締めることに。個人的に恐れたのは、このライトのくだりがイベントのクライマックスなのではないかと思ったこと。これで終わりだったら、もっと早くに来るべきだったと思うところだった。
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その後もパフォーマンスは続き、1人でピアノの弾き語りで歌うキャット・パワー(彼女は自分の曲を歌っているようだった?)、そしてジョーン・バエズが登場。髪はきれいな銀色で、しっかりしたおばちゃんという印象(76歳という感じには見えなかった)。写真でしか見たことのなかった人で、生で歌うのを初めて見た。やけに短くしたストラップでギター1本で立って歌う。「アナザー・ワールド」という曲などのほか、ジョン・レノンの「イマジン」も歌う。シングアウトを求めるところがフォークの人らしい。
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そして、タリブ・クウェリが登場。彼はこういう場所にこそ似つかわしいコンシャス・ラッパーだからね。これまでアコースティックだったり前衛的な曲ばかり流れた会場が、ヒップホップになるというさらに異質なことに。バンドのウイスキー・ボーイズ?と登場し、曲は「Get By」1曲のみだったが、なんとベースを弾いているのはフリーだ。後で映像を見たが、フリーが一番楽しそうに見えたのは、この時だった。驚いたのは、先ほどの出番だったジョーン・バエズがステージの端で踊りまくっていたことだ。そして、一緒にステージに出てきて踊る始末。なんてかわいいおばちゃんなんだろう。お客はおじさまおばさまばかりとはいえ、せっかくバンドも連れてきているのに1曲で終わるのはもったいないなと痛烈に思った。
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続いて、パティ・スミスが登場。自分は先に登場していたのを知らなかったが、これが最後のブロックで、彼女がもう一回登場するという演出だった。ニール・ヤングの「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」を歌い(この辺りの選曲の理由はわからず。しかもずっと歌詞を見ながら歌うというのがよくわからない)。その後、ステージにほぼ全員が再登場し、「ピープル・ハヴ・ザ・パワー」を歌う。ここで初めて自身の曲を歌う。この曲がこのイベントの決まりみたいなものなのかと思った。このPathway To Parisのイベントは2014年から色々な場所で何度か行われているもので、パティ・スミスは積極的に参加し支援しているようだ(おそらくマイケル・スタイプも)。ここで最後に客も立ち上がり合唱というクライマックスだった。
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トータルとしては、音楽イベントとしてのクオリティーが高いわけでもなく、かといって環境問題啓蒙のイベントとしてもどうなのかというものだった。結局、環境問題を訴えていくならば、若い人々や、さらにはアジア諸国にも訴えていかなくてはいけないわけで、進歩的な白人の客相手にだけやっていてもしょうがないのにと思ったが、そんなイベントすら行われようともしない、アーティストは関心もないし支援もしないような日本に比べれば、よっぱどすごいものである。

驚いたのは、Facebookライブストリーミングを載せていて、イベントを協賛しているのがアイスクリームのベン&ジェリーズだということだった。そもそもこのような政治的ともいえるイベントに金を出すなど、日本企業だと考えられないことだ。実はこのベン&ジェリーズという会社、訳もわからず協賛しているんじゃないかと思って調べてみたら、ものすごい進歩的な会社だとわかった。遺伝子組み換えや人工ホルモンに昔から反対していて、北極の野生生物保護、若者を選挙に行かせるキャンペーン、自然エネルギーで作った電気を店で使用しようとするなど、一般的なアメリカの大企業のイメージとは真逆の会社だということ知る。何しろ、グレイトフル・デッドにインスパイアされたフレーバー、「チェリー・ガルシア」なんてものがあるのが、普通の会社じゃないことを証明している。私自身としては、これまでオリジナルフレーバーしかなくて、味がわからないから買うのを躊躇していたベン&ジェリーズのアイスクリーム(あまり安売りもしていない)を、ちょっと買ってみようと思ったくらいだ。

カーネギー・ホールからブルックリンに戻って、翌日に帰国、今回の旅行は終了のはずだった。わざわざJFKにちょっとでも近いところと思って泊まったブルックリンのシェラトンだったが、翌日エライ目に遭うことになった。その辺りを最後に。



2017/11/5 Philadelphia Eagles vs. Denver Broncos @ Lincoln Financial Field (NFL football)

11月5日、日曜日。この日はリンカーン・フィナンシャル・フィールドにフィラデルフィア・イーグルスのゲームを見に行く予定だ。イーグルスのゲームを見るのは2度目、そして前回もこのホテルから歩いて行った。約30分、歩いて行こうと思うギリギリの距離だが、フィラデルフィアはスタジアムの近くに安いホテルがなく、Airbnbでも部屋を探したが、やはり安いいい所もなく、1泊で利用するにはちょっと気が引けたので、仕方がない。

道順は難しくはない。ただ、距離があるだけだ。周りの道も全然危険な所ではなく、むしろこんな所があるのかというほど、キレイで新しい小金持ちが住むような一軒家の住宅が立ち並ぶオシャレな地区まである。ローマの名前がついた大層な場所でもあった。ダウンタウンまで車で行けば30分もかからないはずだから、本当に最高の立地であると同時に、家一軒いくらするのだろうという興味が沸いた、古い都市であるフィラデルフィアにこんな再開発地区があるということに驚き、ここには以前何があったんだろうと気になった。そんな場所がサウス・フィラデルフィアである。

流れとしては、11時過ぎにホテルをチェックアウトするのだが、荷物を車に積んでおいて、歩いてスタジアムに行き、フットボールのゲームを見てから、夕方ホテルに戻り、すぐにニューヨークで用事があるので発つ予定である。以前もしれっと車をホテルに止めたままで、スタジアムに行った後、戻って来ても大丈夫だったので、今回もそうすることに。とにかく物価の高い東海岸ではできるだけの節約をしなければならない。ということで、できるだけ最小限の荷物でスタジアムに行くわけだが、 リンカーン・フィナンシャル・フィールドはドームではないので、寒さ対策もしておかなければならない。雨は降らない予定ではあったが、スタジアムに持って入れる透明のバックは持ってないので、手持ちでユニクロのダウンなどを持って出かけた。

セレブな住宅街を抜けて大通りに入ると、右手に大きな公園のある通りに出る。ここは歩道も広くて、草地のある道でもあった。しばらく行くと、大きな通りを経た反対側には、『NFL倶楽部』でもよく見たフィラデルフィア・イーグルスの練習場があった。ここから延々同じ道を進み、さらに幅広い道に出ると、スタジアムが集まった地区に入る。フィラデルフィアはスポーツを観戦するのには本当に便利な街だ。アメフトの リンカーン・フィナンシャル・フィールド 、バスケットとアイスホッケーのウェルズ・ファーゴ・センター、野球のシチズンズ・バンク・パークが隣合わせに並立していて非常にわかりやすい。ただ、先ほども述べたようにこの近辺に手頃なホテルがない。せっかくだからスタジアムの外景を写真を撮っておこうと、デジカメを取り出そうとしたら、デジカメがない。えっ、どういうこと??? ポケットなどどこを探してもない。ホテルを出る時には、確実にデジカメはケースに入れてポケットに入れていたはずだ。ということは、落としたのか!? そうだ。気付いた時には遅かった。

この前に一昨日起こったあることを説明しなければならない。デトロイトにいた最終日、時間があったこともあり、ディアボーンという町のショッピングモールに出かけた。しかし、そこで入ったトイレが清掃の途中だったような感じで、気付かないで便座に座ったら、水びたしでパンツから下着からびしょ濡れになってしまった。一気に気分が萎えた。冷たいし、ヤバいなと思い、ただホテルに戻って着替えるまでの時間はもうなく、その日のアリーナなどに行くのもブルーだし、モールでパンツと下着を買うことに決めた。基本、アリーナなどに行く時は、手ぶらでないと入れないので、パンツの横にポケットのあるカーゴパンツで行くようにしている。しかし、このモールの店を色々探したが、カーゴパンツは売っていなくて、仕方なくちょっとゆったりめのジーンズで、かなり大きめのファスナーがあって、開けるとポケットにもなる黒のパンツを買うことにした。カーゴパンツのようにサイドのポケットではなく、太ももの正面に大きなファスナーがあるデザインで、そもそもポケットとして使われることを想定していないのであろう。そこに物を入れると、立ったり座ったりした時に引っ張られてとても痛かった。

一応、この日もせっかく買ったその黒のジーンズで出かけたのだ。デジカメをそのポケットに入れると、かさ高いので引っ張られてとても痛い。仕方なく、ちょっとファスナーを緩めにしていた。そうすると、物の見事にファスナーが下がってしまい、いつの間にか落としていたということなのだろう。普通ならば、デジカメを落とすと、ケース越しとはいえ、何らかの音がして気付く。しかし、歩いていた道は公園沿いの草地の道だった。落としても音がせずに気付かなかったのだ。最悪だ。昨日買った新品のデジカメを、わずか1日で失くしてしまう。こんなついてないことがあるだろうか。

試合開始は13時。その時は12時前で、時間に余裕を見て出てはいた。とりあえず来た道を戻って探さないと、どうしようもないなと思った。もうすでにドッと疲れていたが、来た道を戻る。戻ると言っても、そこまで10分以上は余裕でかかる。途中、何人かのスタジアムに行く人間が通り過ぎる。ここで嫌なことに気付く。もし、デジカメを公園沿いの草地の道に落としていたとして、スタジアムに行く人間が少なくはあるが通っている道なので、彼らに気付かれて、盗られてしまっているのではないかと。

もう何の楽しみも希望も感じず、ただただ大きな後悔を元に、来た道を下を見ながら歩く。公園沿いの草地の道まで戻って、何もなければとりあえずスタジアムに行って、試合だけは見ようと考えた。草地の道に入り半分ほど来たところで、何か黒い物に気付いた。拾ってみた。裏返しにされてはいたが、自分がflying tigerで買った、人間の目がプリントされたデジカメのケースだった。これを間違うはずはない。だが、中に入っていたはずの新品のデジカメは物の見事にどこにもなかった。悩みに悩んで買った新しいデジカメはわずか1日で自分の元を去ってしまった。確定だ。そんなことあるか!? スタジアムに向かう人間に、落としてしまった自分のデジカメケースを見つけられ、カメラだけ盗られて、そのままケースを捨てられてしまったのだ。

ここは日本ではない。落とし物が何もなく帰ってくることなどありえない。普通に使えるカメラが警察に届けられることはないだろう。スタジアムに行っている人間の誰かが持っていったはずだが、6万人以上が訪れるスタジアムでその人間を見つけ出すことはできないだろう。アメリカのスタジアムに拾得物を預かるような所があるのをそもそも見たおぼえがないのだが、そういうところに問い合わせだけしてみるか? 盗まれたということにして、警察に行って、盗難届だけ作ってもらえれば、保険で何とかすることはできるかなと考えてみる。スタジアムには、警官はいても警察のオフィスまではないだろうし、そうなると警察署まで行かなくてはいけない。車まで戻って、警察の場所を探して、移動するとなると相当の時間がかかる。この日は試合が終わってから、すぐにニューヨークに移動し向こうに着いてからの予定をすでに入れていたので、盗難届を書いてもらえるのにどれだけの時間がかかるかわからない、明日とか言われたらもう無理だし、とてもそんなことまでしている余裕はなかった。保険に関して言うと、壊れたデジカメに対して保険金を申請するのと、盗まれたデジカメに対して保険金を申請するのと、両方いっぺんにおりるというのは難しいだろう。そうなるとどちらかにしないといけない。だとしたら壊れた方で、保険を申請する方かなと決めた。

結局、スタジアムに戻って試合を見ることにした。デジカメはないが、携帯で撮って、ここは乗り越えよう。すでに大波乱の1日となったが、席に着いてようやく落ち着いた後、ただアメフトのゲームを見ることが、こんなに楽なことなのかと思った。デジカメのなくなったショックはあまりにも大きい。昨日まで撮ったデータが何もかもなくなったのだ。WI-FI搭載のデジカメなので、ケーブルにつながなくともデータを取り出せると安心してたのだが、それはあくまでカメラ本体があってのこと。ついに1回も試すことなく、カメラそのものを失くしてしまった。今回、ラトガース大学のフットボールのゲームと、フーターズのライブ風景の写真がアップできなかったのは、こういう事件があったからなのだ。昨日、疲れてすぐに寝ることなく、撮ったデータにアクセスをしていたらと思うと、それだけが悔しい。俺のデジカメ持って行った奴、何も大したデータないよ。残っているデータだけでもくれないかな。結局、ACアダプターもケーブルも説明書もないから、そのカメラ、充電切れたら、それで終わりなんやけど。
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この日、フィラデルフィア・イーグルスは、デンバー・ブロンコスとの試合だった。カーソン・ウェンツという2年目のクォーターバック(QB)が大躍進し、絶好調のスタートを切ったイーグルス。まさかのこの日までカンザスシティ・チーフスに負けただけの7勝1敗という快進撃。とかく白人のクォーターバックが優遇されるNFLの中で、まさかのノース・ダコタ州立大学という無名校出身のQB、カーソン・ウェンツという人間がどんなものか見たかったというのが根本にあった。そんなモノになるかもわからない人間を見極め、ドラフト1巡目で指名するほど、NFLのスカウトとはすごいのかというところも確認したかったというのはある。
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チケットを買った時は、まだシーズンが始まったばかりで、まさかここまでイーグルスが絶好のスタートを切るとは思いもしなかった。東海岸のチームなので、イーグルスのチケットはそもそも高いのだが、チームが絶好調のせいで、さらにチケットは高騰していた。今回、チケットはStubhubで買った。1階席のかなり上の方ではある。正直、売れば、それなりに儲かって潤う値段になってはいたのだが、やはり自分でも見たいという欲求の方が強かった。ニューヨークに行って、ジャイアンツ対ラムズ戦を見るという選択肢もあったが、ラムズも今シーズンは絶好調だったので、実際見ればおもしろいゲームだったとは思うが、当時はイーグルスを見る選択しか考えなかった。
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一方、デンバー・ブロンコスはここ数年イマイチな成績しか残せず、今シーズンはここまで3勝4敗、クォーターバックは、トレバー・シーミアンが不調で降格、出戻りのブロック・オスワイラーが今季初めて先発を務める始末。ペイトン・マニングの後継者と言われた期待の存在でありながら、ヒューストン・テキサンズに移籍して、その実力のなさを露呈してしまったQB。そのままブロンコスにいたら、どうなっていたのだろうね。まあ、イーグルスの実力を見るには、これほどいいゲームはないのではと思ったのだ。

イーグルスのファンには独特のコールがあり、味方がタッチダウンした時に流れる恒例の歌がある。試合の中継やダイジェストを見るだけでは決してわからない、現場のスタジアムならではの楽しみ。この日はどれだけそのタッチダウンソングが出るのか、今回は地元のファンと一緒に楽しみたいと思ったのだ。まあデジカメさえ失くさなければね。でもここは気持ちを切り替えて楽しむしかない。

試合が始まった。慣れない携帯で撮影するのは大変である。やっぱりデジカメはピントが合うタイミングがわかりやすくて早いことを痛感。携帯で撮ると、これはという瞬間にシャッターを切るのが、ピントが合っていたつもりが合っていなくて、うまくいかない。携帯は本当はアンドロイドの方がカメラの画素も大きくて使いやすいのだが、バッテリーがすぐ切れることを考えて、iPhoneの方で撮影する。

攻撃はデンバー・ブロンコスから。ブロック・オスワイラーはデンバーでの久々の実戦だが、最初からパスを決めていく。ワイド・レシーバー(WR)、コーディー・ラティマ―に通した19ヤードのパスはなかなかのものだった。ラティマーはインディアナ大学時代にその姿を見たことのある選手。そんな選手がプロでも活躍しているのを見るのはうれしい。だからフットボールはおもしろい。しかし、ブロック・オスワイラーの活躍は、最初の2本のパスを通したここまでと言ってもよかった。やはりイーグルスのディフェンスはすごい。彼のパスをそれからなかなか通させることはなかった。敵陣に入ったブロンコスは、フィールドゴールで0-3と先制。そして、イーグルスの攻撃、カーソン・ウェンツの登場だ。
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そのウェンツだが、結論から言うと驚きの一言だった。パスが通らなかったのは最初の1本だけで、タイトエンド(TE)のブレント・セレック、トレイ・バートンと投げ分け、ランニング・バック(RB)のルギャレット・ブロントと新人のコーリー・クレメントのランをはさみ、WR、トーリー・スミスへのパスはディフェンスのペナルティーがあったので、敵陣32ヤードまで進むと、最後はWR、アルション・ジェフリーへの32ヤードタッチダウンパスを通して、すぐに7-3と4分で逆転してみせた。イーグルスは優秀なRBがいて、オフェンスラインがきっちりとブロックしてくれているので、QBは比較的楽なのかもしれないが、それでもディフェンスの穴を見透かすように通すパスは、まるでテレビゲームを見ているようで、見事としか言いようがない。
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続いてのブロンコスの攻撃はファーストダウンも取れずにパントで終了するのだが、イーグルスの攻撃はやはりウェンツのパスが通る。ウェンツはブロックの隙間にうまいこと入って、やはり、セレック、バートン、スミスとパスを投げ分けるのだ。タッチダウンこそ取れなかったものの、フィールドゴールで10-3とリードを広げる。すると、その次のブロンコスの攻撃で、イーグルスのディフェンスが、オスワイラーのパスを見切ったようにインターセプト。敵陣15ヤードという絶好の位置で攻撃権を得たイーグルス、カーソン・ウェンツがクレメンツにタッチダウンパスを通し、17-3とリードを広げて第1クォーター終了。すでにここで試合が見えた気がした。

第2クォーターになり、やはりブロンコスの攻撃はパントで終了。さらに次の攻撃でイーグルスの秘密兵器が登場する。ランニングバックのジェイ・アジャイである。マイアミ・ドルフィンズからトレード移籍し、この日がイーグルスでのデビューだったのだ。最初の走りでは爆発は見られなかったが、これでまだアジャイがいるとなると、まさにイーグルスは手がつけられなくなるだろうという予感が生まれた。しかし、ブロンコスもディフェンスとスペシャルチームが意地を見せる。イーグルスの攻撃をパントで終わらせると、そのパントリターンで、ルーキーのアイザイア・マッケンジーがなんと44ヤードのリターンを見せる。彼はジョージア大学の出身である、そして、自分は2016年にジョージア大学で彼の活躍する姿を見ていたのである。だからこそフットボールはおもしろい。敵陣に入った位置からの攻撃となったブロンコスだが、それでもイーグルスのディフェンスはオスワイラーのパスを許さず、フィールドゴールで終わり、17-6に。

イーグルスは、攻撃の手を緩めない。やはりカーソン・ウエンツのパスは通る。ブロンコスのディフェンスは踏ん張るも、ペナルティーを取られて、さらに進ませてしまうという悪循環に。ウェンツは敵陣に入ると、最後はTEバートンへの27ヤードタッチダウンパスが決まり、24-6に。そして、ブロンコスの攻撃はやはり機能しない。オスワイラーは踏ん張るものの、結局パスが通るのはエースレシーバーのデマリアス・トーマスへのみ。トーマスが何とかディフェンスを振り切ってキャッチしているという印象。敵陣6ヤードまで進んだものの、結局タッチダウンは取れずにフィールドゴールで終わる。これで24-9。

そして、ついにあの男が爆発する。次のイーグルスの攻撃で、アジャイが14ヤードのランでファーストダウンを取ると、直後の攻撃ではなんと46ヤードを走り、そのままタッチダウンランを決める。次元の違う走りというのはこういうことである。何でマイアミ・ドルフィンズは、この男を全く生かしきれなかったんだろう。不思議で仕方ない。これで31-9、3タッチダウン差以上の点差が開き、もう試合は決まった。客席は大歓声が止まらない。このまま第2クォーターが終了。
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後半になり、第3クォーターのイーグルスの攻撃、アジャイのランに刺激されて、ルーキーのコーリー・クレメント、さらにエースのルギャレット・ブロントも抜群のランを見せる。このランユニットは最強じゃないかと思えてくる。これにウェンツのパスがあるのだからイーグルスはすごい。たっぷり7分半もの時間をかけて攻め込み、最後はクレメントが2ヤードを走り込みタッチダウン、38-9となった。イーグルスファンは笑いが止まらない。イーグルスファンは陽気で、自分のような部外者も喜んでいると、すぐに仲間のように受け入れてくれる。今日はタッチダウンソングは何回かかるんだという大騒ぎである。そういえば、以前来た時も、試合終わりで会場前を歩いていたら、食べていかないかとテールゲートパーティーに誘われたのもフィラデルフィアだったなと思う。

その後、双方の攻撃がパントで終わり、第3クォーター残り5分。イーグルスのディフェンスは完全にブロンコスの攻撃を見切ったか、再びオスワイラーのパスをインターセプト。また敵陣11ヤードから攻撃を始めることになったイーグルスは、ウェンツがすぐにアルション・ジェフリーにタッチダウンパスを通し、これで、44-9。客席はもうどこまで点取るんだ? もういいんじゃないか?という感じになってきた。
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イーグルスディフェンスはさらに乗ってきて、オスワイラーを捕まえ、サックを浴びせるようになった。しかし、第3クォーター最後のプレイでコーディー・ラティマ―へのパスを許してしまい、敵陣に侵入されてしまう。第4クォーターになり、ここでブロンコスは意外な人物が生きてくる。ランニングバックのジャマール・チャールズ。そうチーフにいたあのレジェンドプレイヤーである。ランにパスキャッチにと活躍を見せ、ブロンコスは敵陣1ヤードまで迫り、最後はオスワイラーがトーマスにタッチダウンパスを通し、ブロンコスはこの試合、初めてのタッチダウンを取り、44-16に。

第4クォーターになると、カーソン・ウェンツはもう出て来なかった。それだけ楽勝の試合だった。代わりに登場したQBは、この人も出戻り、あのニック・フォールズである。フォールズは自陣27ヤードからの攻撃で、ブロンコスのラインバッカー(LB)、ボン・ミラーにサックを浴びる。そしてファンブルをしてしまい、それをデンバーのLB、ブランドン・マーシャルにリカバーされ、そのまま走り込まれて、タッチダウンを喫してしまう。アッという間にに44-23に。何だかなあという感じが会場に漂う。

ここまで何気に気付いていない感じもあったが、ブロンコスはディフェンスがどちらかと言えば、かなり強いチームである。サック王、ボン・ミラーがいるし、コーナーバック(CB)のアキブ・タリブもいる。それがウエンツからフォールズに変わった途端にこうなる。独特のディフェンス回避能力、カーソン・ウェンツのすごさというのをあらためて認識させられたような場面であった。しかし、学生時代に目覚ましい成績を残したとはいえ、いわゆる超強豪校とは対戦もしていないローカルな大学の選手が、ここまでになると見抜いたスカウトもすごいし、2年目でここまで成長させたコーチ陣もすごいもんだと納得した次第である。

しかし、次の攻撃でフォールズはWR、ネルソン・アゴラーに35ヤードのパスを通した。アゴラーは南カルフォルニア大学出身で、彼の学生時代のプレイも自分は見ている。結局、この日、フォールズの投げたパスはこれだけだった。敵陣4ヤードまで進んだイーグルスオフェンスは、最後クレメントが走り込み、51-23。結局、これがこの日のゲームの最後の得点になった。その後もオスワイラーは、ほとんどパスを通せずに試合終了。イーグルスの最後の攻撃ではランニングバックに2年目のウェンデル・スモールウッドが登場。なかなかの走りを見せたが、どんだけRBがいるんだよって感じだった。
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イーグルスは、カーソン・ウェンツがパス27回中15回成功、199ヤードに4タッチダウンパス。アジャイが77ヤードラン、1タッチダウン。クレメントが55ヤードラン、2タッチダウン、15ヤードレシーブ、1タッチダウン。アルション・ジョフリーが84ヤードレシーブ、2タッチダウン。トレイ・バートンが41ヤードレシーブ、1タッチダウン。一方、ブロンコスはブロック・オスワイラーがパス38回中18回成功、208ヤード、1タッチダウン、2インターセプトに3サックを浴びた。それでも5割パスが成功しているのが意外だった。デマリアス・トーマスが70ヤードレシーブ、1タッチダウン。コーディ・ラティマ―が51ヤードレシーブ。なんとラッシングはチーム全体で35ヤードしかあげられていなかった。どんなにすごいんだ、イーグルスディフェンス。ディフェンスはボン・ミラーが8タックル、1サック、1ファンブルフォース。ブランドン・マーシャルが5タックル、1サックといったところだった。ブロンコスのディフェンスは決して機能していなかったわけではない。

イーグルスが攻守ともに圧倒した試合で、正直、イーグルスファンには悪いが、後半はダレるくらいのゲームだった。なので、余計にデジカメを失くしたことが響いてきたのだが…。結局、この時はまさか、イーグルススーパーボウルに出場し、ましてや優勝するなんて考えもしなかった。しかも、絶好調のカーソン・ウエンツが14週に怪我をしてまさかの離脱、そして、あのもう終わった選手とすら思われていたニック・フォールズが代役として、残り3週そしてプレーオフスーパーボウルを戦っての勝利である。こんな状況になると誰が考えただろうか? 信じられないとはこのことだ。かつてドノバン・マクナブでもマイケル・ヴィックの時代でも決してスーパーボウルに勝つことなんてないと思われていなかったイーグルスが勝ったのだから、現実はわからないものである。

わからないといえば、大学フットボールでは、去年見に行ったジョージア大学が、今シーズンはまさかの全米一を決めるチョンピオンシップにまで出場するという事態になった(結果、ジョージア大は負けたが)。それでも去年見た選手が多数残っていたのだから、おもしろいものだ。ただ、昨シーズン、先発を務めたクォーターバック、ジェイコブ・イーソンはシーズン序盤にケガで離脱したまま、1年生の地元ジョージア出身のQB、ジェイク・フロムにポジションを奪われる形となり、それから先発出場することはなかった。これも運命というのか、皮肉なものである。ジェイコブ・イーソンは出場機会を求めて、地元ワシントン大学に転校したらしい。彼はあえて出場機会をすぐに得られないと思って、地元のワシントン大学への進学をやめて、ジョージア大学に進学したのだが…。これもドラマである。

スーパーボウルMVPを獲得したニック・フォールズだが、翌シーズン、カーソン・ウェンツが故障から回復すれば、チームはやはりどう考えてもウェンツを選ぶはずだから、去就が注目されていた。フォールズは自分を積極的に評価してくれるチームを選べば、黄金時代を取り戻すことができるはずだったのだが、結局イーグルスと再び契約して残留することになった。これこそ全くわからない。ウェンツの怪我が長引く可能性があるということだったが、それこそバックアップのQBは死ぬほどいる。ウェンツが戻ってくればそのまま交代する、今の地位を選ぶ意味がわからない。ウェンツの才能を自分が一番わかっているということなのか。自分はブロック・オスワイラーみたいに過大評価されて失敗したくない、限界をわかっているということなのだろうか。でも、イーグルスは、かつて自分を見限って放出したチームだということを忘れているのか。その時とヘッドコーチはちがうといえども。

やはり、デジカメは見つかることはなく、そのまますぐにニューヨークに向かうことに。時間は16時半を過ぎていたので、できるだけ車が混む時間になる前に着ければと車を走らせた。


2017/11/4 THE HOOTERS Give The Music Back Tour 2017 @ Keswick Theatre Glenside, PA

ラトガース大のゲームを途中で抜けてフィラデルフィアに戻る。それはフーターズのライブを観るためであった。フーターズと言っても、アメリカの健康的な女性がいるレストランの名前ではない。ロックバンドのザ・フーターズである。

80年代の洋楽全盛時代。決してヒットチャートでナンバーワンを取る曲を生み出すバンドではなかったけれど、独特の個性的なキャラクターが大好きなグループだった。フーターとはピアニカのことで、その馴染み深い楽器の甲高い音と、クラシックの楽器というイメージしかなかったマンドリンの、エレキギターにも劣らない空間を切り裂くような音にとりこになった。彼らはフィラデルフィアの出身で、キーボード(フーターも弾く)担当のロブ・ハイマンと、ギターやマンドリンなどあらゆる楽器を担当するエリック・バジリアンの2人の中心人物とプロデューサーのリック・チャートフがペンシルベニア大学で出会って音楽活動を始めたのが最初だ。ロブ・ハイマンはシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」の作者で、リック・チャートフがプロデューサーとなり、彼女のデビューを支えた人物でもある。

フーターズのメジャーデビューアルバム『Nervous Night(眠れぬ夜)』は、まだ中学生だった私が最初に買ったCDであり、”And We Danced(朝までダンス)”、”Day By Day(デイ・バイ・デイ)”は、今でもビデオクリップのシーンとともにくっきりと思い出すことができる。マイケル・ジャクソンやマドンナなどももちろん聴いてはいたけれど、CDまで買って、歌詞までちゃんと聴こうとして、ずっと持っておきたいと思ったのは、フーターズであった。ピアニカとかマンドリンの馴染みはあるが、ポップスでは他に決して聴かない音が鳴っていたことと、ギターが全てを主張しない(ギターソロの間奏が長くない)ところが何より好感を持ったバンドだ。

セカンドアルバム『One Way Home(ワン・ウェイ・ホーム)』は、よりトラッド色が強くなった最も好きなアルバムだった。その後、それほど売れなくはなったが、3枚目の『Zig Zag』4枚目の『Out of Body』にも必ず好きな曲があって、ずっと追いかけていた。いつの間にかアルバムは出なくなり、いつしか彼らが拠点をドイツに移して、演奏活動を続けていることを知った。ドイツは彼らに縁もゆかりもないところだが、かつてシングル”Johnny B”がヒットチャート1位になったことがある国で、彼らをこころよく受け入れた国だったらしく、定期的にライブを行っており、ドイツ語の曲も歌っているらしい。

彼らの単独来日公演は2回ほどあったはずだが、自分はどうしても行けなかったことだけはおぼえている。そんな彼らが地元であるフィラデルフィアに帰って凱旋公演を行うのだ。そして、たまたま自分がアメリカにいる間に公演があるとなれば、見ないわけにはいかないだろう。自分の多感だった青春時代を体感するためにも見なくてはいけない。これは運命だと思うようになった。

ライブは、フィラデルフィアと言っても、ダウンタウンではなく郊外の、車で行けば30分くらいかかる、厳密に言うとフィラデルフィア市ではない、グレンサイドという町のKeswick Thetreというライブハウスで行われる。彼らの地元でありながら、彼らをドイツへと追いやってしまったフィラデルフィアという街であるが、再び彼らを20数年ぶりに呼び寄せたということである。そこは大いに評価されるべきである。実は2015年の、彼らの35周年の年からフーターズの公演はここで行われたらしく、今年は3年目ということらしい。日本でもフーターズは人気ではあったが、現在、彼らを呼べる力のある会社はないし、彼らの公演がビジネスになる保証もない。だからこそ、アメリカで彼らのライブを観ることには意味があるのだ。

チケットはStubHubで取った。会場は、ホールで、スタンディングではないので、席が決まっており、やはり最前列付近は相当な値段になっていた。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。少しでも前の列をと17列目のセンターブロックのチケットを買った。チケットを取ってからというもの、数週間ずっと、spotifyフーターズの昔の曲を聴いていた。それほど自分の中では楽しみになっていたライブだったのだ。80年代の音楽でも、トラッド志向だった彼らは、シンセドラムなどの音が入っていなく、古さを感じさせない音楽なところがあらためてすごいなと思わせるところである。

ラトガース大からフィラデルフィアには7時半には戻ることができた。グレンサイドは古い街のようだ。Keswick theatreはすぐにわかったのだが、駐車場が周りにはなく、ライブハウス用の駐車場もないらしく、道も決して広くはないので、車を一時的に止める場所もなく、数百メートルほど先に住宅街の一軒家が並んだ地区がいくつもあって、そこの道沿いに路駐している車にまぎれて、止めさせてもらおうともらった、すでに夜だし、こんな場所で駐車違反もないだろうという判断であった。また雨が降り出していた。よくこの時間まで降らずにスムーズに来れたなと思う。

新しく買ったデジカメも使いこなしてきて、会場に入る。建物自体も相当古いようで、後で調べてみたら1928年に建てられた昔の劇場で、ライブハウスの運営会社が買い取って、1988年にリニューアルしたようだ。イスも古くて趣きがある。客層は、自分よりも明らかに年上の白人男女ばかり。日本人はおろか、アジア人らしき人物もいない。17列目のセンターブロックという席はこの上なく見やすい席で写真を撮る分にも申し分なかった。いつ始まるのかなと思ったら、開演予定時間の5分後くらいにはメンバーが登場。前座もナシである。さすがに年はくってはいるが、あれだけ紆余曲折があったグループなのに、メンバーはほとんど変わらない。本当にすばらしいバンドだ。歓声もそこそこに演奏が始まる。時間通りに戻れて本当に良かった。しかし、客は立ち上がるわけでもない。まあ、そこは年齢層だから仕方がない。

1曲目は"You Never Know Who Your Friends Are"。メジャー3枚目のアルバム『ZIG ZAG』の4曲目。このアルバムで一番好きだった曲だ。もうこれで上がった。そもそも1曲目にこの曲を持ってきたことに意味があるのだろう。観客をずっと友達だったという意味と、ここに集まったみんなが友達だったという意味にかけているとみた。そして、5枚目のアルバム『Time Stand Still』に入っている”I'm Alive”をはさんで、1枚目『Nervous Night』収録の名曲、”Hangin' On A Heartbeat” が来た。もう会場は大合唱である。いまだに歌詞はほとんど全部おぼえている。さらに、2枚目『One Way Home』の”Johnny B”、5曲目に大好きな 『Nervous Night』の”Day By Day”のイントロが鳴って、ずっと自分はここに来たかったんだと思うと、涙が出てきた。これが20年以上前ならもっと良かったのになと思った。
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6曲目にドン・ヘンリーの”ボーイズ・オブ・サマー”のカバーを演り始めたところから、今日はどこまでの曲をやってくれるんだろうという思いに変わった。 5枚目の『Time Stand Still』に入っている曲だが、フーターズとしてはそれほど有名な曲ではない。さらに 『One Way Home』の”Graveyard Wartz”をはさみ、”500 Miles”、"Lucy In The Sky With The Diamonds"とカバーが続くと、もっと他にやってほしい曲があるのに、それをやらなくてもいいのになという思いになっていく。そして『Nervous Night』の名曲として知る人ぞ知る、”Where Do The Children Go?” まで来ると、そこまでやってくれるんだという感動に。でも、この曲はアルバムでは、パティ・スマイスと一緒に歌っている曲で、こういう年に1回の場なんだから、パティ・スマイスを呼んでほしかったなと思うことしきり。
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そこから1枚目 『Nervous Night』 と、2枚目 『One Way Home』の名曲が続く山場に入る。”All You Zombies”、"Karla With A K"、"Satellite"、そして"And We Danced"。ロブ・ハイマンはフーターを高々に響き渡らせる。観客の中には立ち上がっている者もちらほらいて、自分も我慢できず、ずっと立ち上がっていた。  "Karla With A K" の長いイントロ、これを生で聴けただけで自分は幸せだった。この曲だけはデジカメで動画も撮ったはずだった。そして、メンバーはステージから一旦ひける。もう満足しすぎて、あと何曲聴けるのだろうかなと嘆息していた。しかし、すぐに再びメンバーが登場。アンコール数曲だけかと思っていたのに、これは単なる休憩だったかのようで、まだまだライブは続いたのだ。トラッド色強い曲が続き、5作目の 『Time Stand Still』の曲もフォロー、そして3作目 『ZIG ZAG』のそう言えばこんな曲もあったなと思い出した”Mr. Big Baboon”も演奏。また懐かしさがこみあげてきた。
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さらに、ここ数年のツアータイトルにもなっている”Give The Music Back”を経て、1枚目 『Nervous Night』の名曲 ”South Ferry Road”、彼らのメジャーデビュー前のアルバムタイトル曲である ”Amore”、2枚目 『One Way Home』の”Fightin' On The Same Side”と、またまた時代を遡っていく設定。気が付いたら、もう2時間をとうに越していて、3時間コースになろうとしていた。なんと、ジョーン・オズボーンに提供した”ワン・オブ・アス”、シンディ・ローパーに提供した名曲”タイム・アフター・タイム”まで披露。本当にここまでやってくれるなら、誰かゲストでこの場にいてほしかったなと思ったのが正直なところ。
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満足しきったところで、印象的なイントロとともに流れたのは3枚目の『ZIG ZAG』に収録されている”Beat Up Guitar”。この曲には、Philadelphia, PAというフィラデルフィアの街と地名が色々と歌詞に出てくる。彼らがバンドを始めた時のことを歌った曲で、いつか有名になってやると誓った頃の歌。時は流れ、彼らは数十年を経て、地元に戻ってきた。そんなフィラデルフィアだからこそ、聞いてみたいと思っていた曲であった。彼らはどんな思いでこの曲をここで演奏し、ファンはこの曲をどういう思いで聴くのか。実は、この日のライブ、最後の曲がこれだった。大合唱とともに終了し、メンバー全員が手を取り合って、頭を下げて終わった。

まさにフィラデルフィアを満喫した日だった。”Brother, Don't Walk Away”とか、”Engine 999”とか、"She Comes In Colors"とか聴きたかったけど聴けなかった曲もあったが、それはまたいつか聴ける、これが最後ではないと思いたい。ここまで来てわかったと思うが、この日撮ったはずの写真は、結局、新しいデジカメを失くしてしまったことにより、データも失ってしまって、あげることができなかった。写真があれば思い出すはずの記憶も出て来ず、色んなところから画像や映像を検索しながら、手探りと想像で書くはめになった。新しいデジカメの扱いに慣れてきたので、この日は携帯では一切写真を撮らなかったのだ。本当に最悪の展開である。でも、だからこそ、また必ずフーターズを見たいという思いが沸々と湧き上がっている。この日は雨も降っていて疲れたから、朝ごはんだけ買って、ホテルに帰ったのは0時過ぎで、すぐに寝てしまった。思えばこの時、写真のデータをチェックして、PCに移すくらいのことをしておかばよかったと、つくづく後悔している。