2018/11/14 The John Mellencamp Show 2018 @ Abbotsford Centre, Abbotsford, BC, Canada

 2018年は、11月の第3週に休みをとることにした。日本では連休の谷間週であり、アメリカのサンクスギビング休暇前に帰国するというパターンだ。確かにこの時期、人は多くないが、別に連休時と大して値段は変わらない。決め手となったのは、あの世界的バンド、フリートウッド・マックが、50周年のツアーをやっていたことだった(厳密には結成51年)。『Rumours(噂)』のアルバムがとにかく大好きで、いまだに聞いたりしたりするくらいなのである。70年代に大ヒットを飛ばしたバンドの中には、そんなに思い入れのあるものは少ないので、一番好きな人たちかもしれない。でもリアルタイムで流行っていた時代は、生まれてはいるが、まだ洋楽を聴くような年齢ではなかった。だいぶ経って昔の洋楽を聴いていくうちに、こんなにおもしろいバンドはないと夢中になった。リードボーカル兼ソングライターが3人もいるバンドなんて、自分は知らなかったし、当時大仰なギターソロをはめ込むバンドが多い中で、そういうのがなかった彼らに興味を持って、昔のアルバムも聴いていくようになったのだ。

 とはいえフリートウッド・マックは、日本では人気がない。この50周年のライブも、日本公演は多分行われないだろう。だからこそ、行く意味があるというものだ。日本では同年代にヒットを飛ばしたイーグルスやクイーンなどと比べると、その人気のなさは明白だが、アメリカではその人気はむしろ逆だと言ってもいいのではないだろうか。元はイギリスのバンドなのに、アメリカ色が強いとか、ブルースバンドだったのに、ロックや実験的なポップスをやったり、曲の雰囲気もボーカリストもコロコロ変わるようなところが、日本人には受け入れ難いのかもしれないが、私はむしろそこに魅かれた。80年代や90年代には彼らも来日してライブを行ったことはあったが、自分は行けなかった(当時はまだお金もなかったし、それほど昔の曲を知らなかった)。なので、何十年かぶりに今回のどこかのツアー会場に紛れ込んで参加するわけにはいかないかと考えた。

 そんな同時期にジョン・メレンキャンプが、なぜかカナダをツアーしていることを知った。しかもレジェンドアーティストなのに、大都市ばかりでなく、結構な田舎町でもライブを行うようだ(カナダと何かつながりがあるのかはよくわからない)。彼もいまだにアルバムを良く聴くアーティストで、特に『The Lonesome Jubilee(1987年)』が大好きなのは以前も書いたと思う。アメリカの象徴といえば、多くの人にとってはブルース・スプリングスティーンなのだろうが、私にとってはジョン・メレンキャンプだった。スプリングスティーンにはどこか大袈裟さやうさん臭さを感じたのだが、ジョン・メレンキャンプはただのラブソングではなく、アメリカの置かれた現状と凋落、インディアナ出身の彼が訴える農家の窮状、チャリティライブのファーム・エイドを立ち上げるコンシャスさが、彼の志向するルーツ・ロック、特にブルース色、R&B色の濃い音楽性と重なって好きだった。ジョン・メレンキャンプにしても、かつて来日公演はあったが、当時自分は行けなかった。ともに何十年か越しに初めて行くライブとなり、そこにあてはめれる予定ということで、11月14日カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州のアボッツフォードの公演に行き、11月17日にアメリカ、ワシントン州に渡り、タコマドームでフリートウッド・マックを見るというパターンに決めた。
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 カナダは去年も上陸したので、今年行くことに不安はなかった。しかし、バンクーバーやシアトルで、その前後にスポーツイベントなどがうまくはまったりするのかということには不安があった。ただでさえ、どちらもNBAのチームがもうなくなった都市である。調べると、11月15日の木曜日、サーズディ・フットボールに、ちょうどNFLシアトル・シーホークスが試合を行うことがわかった。これで腹は決まったと言っていい。あとは何かしらの予定を組み込めるだろう。

 カナダとアメリカの国境を移動するのは、外国人にとっては得策ではない。国境通過はとにかく待たされるものだし、日本人の自分は、別室で手続きをさせられることになる。今年、ジョン・メレンキャンプは、なんとブリティッシュ・コロンビア州だけで6か所も回るほどツアーを行っていたが、自分がバンクーバーから車で移動するとなると、結構、時間がかかりそうで大変な場所も多く(カナダでの車移動は、景色は素晴らしいと思うが、それを満喫できるのは1時間ほどで、あとはほとんど退屈な時間でしかないと踏んだ)、14日にバンクーバーに着いて、その日に1時間ほどで行けるアボッツフォードが最も現実的な選択だった。

 14日前後にバンクーバーでのイベントを探したが(フリートウッド・マックは同じ14日にバンクーバーのロジャース・アリーナで公演を行っていた)、先述のようにNBAグリズリーズはもうなくなったし、NHLのバンクーバー・カナックスは長期のロードに出ていた。11月18日からカレッジバスケットのイベント「バンクーバー・ショーケ-ス」があって(マウイ・インヴィテーショナルやカンクン・チャレンジのようにカレッジの有力校が集まってミニトーナメントをする大会の1つ)、それはチケットも安くて行きたいと思った。そこで、カナダに入国して、途中でアメリカに入り、またカナダにしばらく滞在して帰国するパターンを考えた。

 14日夜に羽田を出発し、同じ14日昼にバンクーバーに着くANAの夜行便があり、これは便利だと飛び付く。なぜかシアトルへの直行便は、成田からしかなく、しかも昼過ぎに出発する便しかなく、意外と使えないことが判明。15日にはシアトルに入るので、実質カナダには1日しかいないことになるのだが、仕方ない。16日以降をどうするかというところで、結局バンクーバー、シアトル含め、ワシントン州には大したイベントはなく、これまで行ったことはあるが、入ったことのない場所に行こうと、またインディアナ州に行くことを計画。ジョン・メレンキャンプを見たあとに、彼の故郷・インディアナに行くというのも乙なものだ。これまでタイミングが合わなくて見れなかったNBAインディアナ・ペイサーズのホームゲームと、インディアナ大学フージャーズのバスケットボールチームのホームゲームがちょうど見られることがわかったので、18日にシアトルからインディアナまで移動することを考えた。往復で飛行機は5万円ちょっとだから妥当な値段だろう。21日にインディアナからバンクーバーに戻って、22日に帰国するスケジュールを計画。ほんとにカナダにいるのは実質1日となった。バンクーバー・ショーケースは見たかったが、インディアナに行くとなったら眼中から消えた。

 今回の旅では大きな決断をすることになった。それは、これまでずっと使っていたハーツレンタカーをやめることだった。少し前まではレンタカーにGPSが付けられるのはハーツだけだったし、そのための恩恵を受け、ゴールドメンバーにも入ったりしたのだが、今回、バンクーバーからシアトルに入って、乗り捨てようとすると、ハーツではそのプランができなかった。「そんなこと、できないなんてことあるの?」と電話で聞いてみると、国境をまたいで乗り捨てられる車数は限られていて、もう可能な車がないという。バンクーバーからシアトルまで飛行機移動も考えたが、車で3時間ほどの距離であり、また航空券を買うのも面倒くさかった。そこで選んだのは、アラモレンタカー。アラモも、GPSをオプションで付けるサービスをやっており、幸運にもバンクーバーからシアトルに移動して乗り捨てるプランでも予約が可能だった。値段もハーツより安かった。もう今後はハーツから乗り換えかもという感じ。GPSも多分ハーツと同じメーカーの機械だろうし、操作には問題ないと思っていたが、これが実は違っていた。

 ということで、かなり変則的なプランを組んだ。14日の移動の際には、アメリカに入るESTAはいつものごとく準備していたのだが、実はカナダに入るためのETAを準備しておらず(航空券を取った時にそういうことは言われてなかったのだ)、空港で必死にネットをつなげて、その場で取得することに。まあ、それがきっかけではあるのだろうが、バンクーバー空港では目を付けられて、空港を出るのに異常に時間がかかってしまう。そりゃETAを取得したその日に、カナダに入るのだから不審がられるのも無理はない。別室で延々旅行の計画の説明をさせられるという面倒くさいことに。もう1日くらいバンクーバーで観光するプランを立てるべきだった。荷物もすべて点検させられ、その際にスーツケースで親指を切り、結構な出血までする羽目に。思えば、去年はデトロイトに先に入ってから車でカナダのウインザーへ移動したから、ESTAだけでETAを取る必要はなかったわけだ。

 しかし、それ以降は特に問題もなかった。今回借りた車は、日産のグレーのセントラ。よくあることだが、自分はコンパクトサイズで予約したのだが、もう車がないというので、ミディアムサイズに格上げさせられる。後でわかったことだが、結局あらたにクレジットカードで払う料金分があり、ハーツと値段が変わらないどころか、高いんじゃないかとわかる。と言いながらも仕方ない。ちなみにGPSはハーツとは全然違っていて、GARMINというメーカーの携帯タイプだった。操作は難しくないものの、ハーツとちがって「フリーウェイを極力利用しない」などのプランの選択ができない。これまでと違って、渋滞していますなどと言ってくれるのだが、そのタイミングが今言われてもという時で、なぜか代わりの道を選択操作ができないというよくわからない機械だった。
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 カナダの交通ルールは、去年も走ったが何も変わらないので、ここがアメリカなのかカナダなのかもよくわからない感じになる。バンクーバーからアボッツフォードへは大して田舎にもなるわけでもなく、予定通り1時間ほどで着く。別の町というよりバンクーバーの延長線上の町という感じ。この日は、ホテルもアボッツフォードで取った。会場のアボッツフォードセンターに一番近いところを選んだのだが、やはり歩いていくには遠い。ホテルの人に聞くと、歩いて行くのは車で行く道しかないからやめた方がいいという。たまたまホテルの隣にウォルマートがあったので、カナダの田舎は、夜、店も開いてないかもしれないと、今日の夜ごはんと明日の朝ごはんを買っておく。会場の駐車場でお金を取られる心配もあったので、手持ちのアメリカドルからカナダドルの現金を作って車で向かう。いよいよ何十年かの時を経て、ジョン・メレンキャンプのライブに行くことに。

 ジョン・メレンキャンプ(当時はジョン・クーガーであり、それからジョン・クーガー・メレンキャンプと呼称が変わっていった)は、存在は1982年の”Hurts So Good(青春の傷跡)” や”Jack And Diane”の頃から知っていた。1985年のアルバム『Scarecrow』もよく聞いていた。特に、”Rumbleseat”と、”R.O.C.K. In The U.S.A.”(この曲の中で歌われているロックの偉人を調べたりもした)が好きだった。でも、私が一番打ちのめされたのは、アルバム『The Lonesome Jubilee』の先行シングルだった”Paper In Fire”のビデオを見た時だった。

 ジョンのバンドメンバー、白人のミュージシャン達が、黒人のコミュニティの中で、即興演奏を始めて、地元の黒人たちが加わって踊り出す映像。スラムではないが、決して裕福ではない南部の田舎町の一角。それがアメリカの現実を象徴しているようだった。曲はロックでありながら、トラッドでもあり、カントリーでもあり、ブルースでもあり、R&Bでもある、後でジョン自身が言っていたジプシー・ロックとしか言えない音楽に、当時、何てカッコいいんだろうと震えた。歌詞はブルーカラーの人々のどうにもならない社会と人生を歌っていた。ジョンはこのようなルーツロックをずっとやりたいと思っていたらしく、このビデオは、実際のジョージア州サヴァンナのストリートで収録が行われ、さらに黒人コミュニティの映像が随所に効果的に挟まれる構成となっていて、ビデオには実際に演奏された音が使われているという(とはいえレコード音源とほとんど変わらないのがすごい)。

 バンドは1980年代から変わらないメンバー、けたたましいドラムスのケニー・アロノフに、ギターのラリー・クレイン、同じくギターのマイク・ウォンチックはこのアルバムのためにドブロ・ギターをマスターし、ビデオでも演奏している。トビー・マイヤーズはウッドベース、ジョン・カセーラはアコーディオンを弾いている。そして、このアルバムで最も大きなインパクトを与えていたフィドルのリサ・ジャーマノ(カントリーではバイオリンのことをフィドルと言うとこの時知った)、味のある黒人女性コーラスのクリスタル・タリーフェロとパット・ピーターソン(バンジョーを持っている方)。アコースティックでありながら、ブルージーでありながら、高揚感のある、こんな刺激的な演奏があるのかと、当時バンドメンバーの名前を覚えるほどだった。アルバム『The Lonesome Jubilee』は、特にこの黒人女性のボーカルがいい感じにフィーチャーされていて、”Hard Times For An Honest Man”や ”Hot Dogs And Hamburgers”が大好きな曲だった。

 自分が洋楽を聴き始めた頃は、まだ日本ではブラックミュージックはマイナーな存在であり、意図して探して聴こうとしないと聴けないものだった。今のように日常生活の中にヒップホップがあるなんて考えられない時代。そんな中で、私は、白人ミュージシャンが取り入れているブラックミュージック的要素を嗅ぎ取って、次第にそちらへと渡っていったのだ。今から思うと信じられない話であるが、自分はU2マーチン・ルーサー・キングを知り、B.B.キングを知り、ジョン・メレンキャンプから、古いR&Bにのめり込んでいくことになる、彼はそんな音楽遍歴のきっかけを与えてくれた1人でもあるのだ。そうなると以降は、どんどん普通のロックがつまらなくなった。人間こうも変わるもんかと思う。

 80年代にジョン・メレンキャンプに感動した私は、アメリカに行ったらインディアナに行きたいと思って、学生時代の90年代に訪れて、彼の録音したスタジオ、ベルモント・モール・スタジオを探したりした。そして、最近になっても、NBAインディアナ・ペイサーズNFLインディアナポリス・コルツやバスケットの名門、インディアナ大学フージャーズを見るためにインディアナを訪れているというわけだ。そんな中での、今回、初めて彼のライブを会場はカナダではあるが、観れるという恩恵にあずかったのだ。

 後でわかったことだが、この”Paper In Fire”は当時、カナダのヒットチャートで1位になったらしい。ルーツ・ロックにさらに踏み込み、R&B色の強く出たアルバム『The Lonesome Jubilee』も、カナダでは1位を取ったらしい。確かにこういう泥臭い楽曲は当時のカナダのポップスにはなかったかと思うが、一体、何がカナダ人に受けたのかはわからないが、そういう経緯もあって、彼はカナダを精力的にツアーしているようだ。   
 
 会場のアボッツフォードセンターはこじんまりとしたホールだった。そして、客はほとんど全員が白人だった。アジア系どころかラテン系の人すら見かけず。ジョン・メレンキャンプ自身は、ブルースやR&Bにもアプローチしている音楽性の人だが、結局、今も聴いているのは、白人層ばかりということなんだろう…。去年、カナダのウィンザーでは、ホール前の駐車場も普通に無料で止まれたから、金は取られないじゃないかと思いながら、ホールの向かいにあった大きめの駐車場に止める。パブリックパーキングには違いないようだ。枠には番号が書いているのだが、料金を払う場所がない。他の車を止めているお客さんたちもお金を払っている感じではなかったので、大丈夫なのかなと思いながら会場内へ。 ホールの中に入って、駐車場の支払いの機械があることに気付く。そういうこと? 確かに払っているお客さんもいる。でも、自分が駐車した所の番号を忘れちまったよ。違った番号を入れて、人のスペースの金払うのも嫌だしね。なんか駐車場の映像とか記録されているのかなとちょっとビビる。 
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 アボッツフォードセンターは、カナダのホッケーチーム、アボッツフォード・ヒートのホームアリーナであったところで、使われるのはホッケーのゲームなどが多いのだろう。ただ、こじんまりしたホールであるので、今回のライブは前方に小さなステージがあって、そのままアリーナ席とスタンドを使うだけ。多分、アリーナフロアの客を入れても1万人も入らない感じ。もうちょっと大きい会場ならば、モニターが用意されたりするのだが、そこまでの広さじゃない。自分が買ったチケットはアリーナフロアの後方ブロックの前方ではあったのだが、ステージまでは遠い。しかも、ホッケーアリーナだから傾斜があるわけではないから、どうにも見にくい。そしてカナダ人(アメリカ人)は背も高いから、なかなか写真もちゃんと撮れないだろうという予測はできた。
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 その予測は的中することになる。去年、デジカメが壊れて、新たに買ったデジカメを落として盗られたという教訓から、もう今年はデジカメを買わずに、携帯だけで写真を撮ろうとしたのだが、画質的には変わらないのだろうが、ピントの合わせなどが難しく、うまい具合にキレイに撮れないのだ。いまさらしょうがないことなのだが。それにしてもステージが遠いな~。
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 開演時間を10分くらい過ぎて、始まった。最初はビデオが会場に流れた。これまでの生い立ちやキャリアを紹介するもので、わかっているとは言いたいが、気分は盛り上がる。そして、ジョン・メレンキャンプ本人の登場。すでに写真などで見てわかっていることだが、本人は当時と比べて太っていて、声も昔に比べればダミ声のレベルが大きい。1曲目は、最近のライブの定番になっている”Lawless Times”。ブルースというかフォークというか渋すぎるスタイル。そしてロバート・ジョンソンのカバーまで演るのだから、本当にこういう音楽が好きなのだろう。それでも90年代の来日の時には行けなくて、ようやく見れた姿である。そんな中で、昔、聴いていた曲が、ようやっとしてから、あの曲かいなと気づく感じで登場する。”Minutes To Memories”に”Small Town”、会場からあらためて歓声が上がる。もう彼はコンサートをしなくとも十分に生きてはいけるだろうに、それでもこうやってライブをしているのだから、すごいものだ。
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 その答えはなんとなくわかった。曲の合間のしゃべりが割と長いのだ。そして、トランプ政権への悪態と皮肉を散りばめてくる。会場はややうけ的な感じ。聞いているのは、カナダ人なのにさ。そうか、彼はこうして歌って、しゃべるのが大好きなんだろうなと思う。だからこそ、いまだにファーム・エイドをやり続けているのもわかる。定期的にツアーをやるわけではないし、メディアに出るわけでもないが、こういうライブが彼の息抜きでありガス抜きにもなっているのだろうと思った。
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 現在も新曲を精力的にリリースしている彼は、再び最近の渋い路線曲を演奏したかと思うと、昔の曲も惜しげもなく披露する。”Jack & Diane”だってアコースティックで歌う。”Check It Out” ”Lonely Ol' Night”も、ただ当たり前だが、当時のレコードとは明らかにちがうアレンジではある。大好きな”Paper In Fire”も、フィドルの人がちゃんといるので申し訳ないが、あの頃の鬼気迫るような印象はない。それでも私にとっては何物にも代えがたい時間。ただ、”Authority Song”のような特別な曲は、あの頃のイメージを壊すからやらなくてもいいのに、とか思ってしまった。「権力と闘いつづけるが、権力がいつも勝つ」という歌だけに、当時の若い頃の気持ちで、今この曲を聴ける人間がどれくらいいるのだろうか?と思ってしまう。しかし、そんなことを気にすることもなく、ジョン・メレンキャンプは平気で歌っている。こういう風に思うのも、まだまだ自分は人生を達観できる年ではないということか。観客は普通に一緒に歌っていた。
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 最後にバンドメンバー紹介。でもラリー・クレイン(ギター)も、ケニー・アロノフ(ドラムス)も、トビー・マイヤーズ(ベース)も、リサ・ジャーマノ(フィドル)もいない。あの頃のメンバーで残っているのは、ギターのマイク・ウォンチックだけ。ひときわ大きな拍手が起きる。40年以上ジョンと一緒にやっているのは、もう彼だけだ。トム・ペティにおけるマイク・キャンベルのように、彼がいればメレンキャンプは作品を出し続け、ライブを行うことができるだろう。
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 時間にしてちょうど2時間程度か。アッという間ではあった。ただ、このアボッツフォードで、今年のツアーは終わりのはずだが、後でセットリストを見ると、他の会場と全く違わない楽曲群であり、なんかサプライズの1つでもなかったのかなという残念さは感じた。とはいえ、来年は2月から全米各地を回るさらに長いツアーがあるようだから。そして、撮った写真は、あまりにも遠くて、手前の客を切ることができずピントも合わず、ロクな写真になっていない。また、どこかで彼のライブを観れることがあると信じる。会場ではTシャツなどは売っていたが、あまりいいデザインのものがなく、買うのはやめる。後でホームページを見てわかったのだが、このカナダツアーにはVIPパッケージのようなものもあったらしく、最前列の席で、サイン入りリトグラフや限定グッズが付いてくるものらしい。でも、本人と会わせてもらえるようなことはないのかと思いながら、自分はそんな前から予定を決められないから結局買えるわけないなと思った。

 結局、駐車場のお金は払わ(え)なかったが、問題なく出ることができた。アボッツフォードセンターの近くの街は、特に観光するような場所もなく(フレイザー・バレーという大学の近くらしいが、すでに周りは真っ暗だった)、そのまま余韻だけ味わい、ホテルに帰る。