映画『デトロイト・メタル・シティ(DMC)』を観る

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 かなり今さら感があるのだが、『デトロイト・メタル・シティDMC)』を観た。なぜゆえに、これをDMCと略すかに、根本的な疑問があるのだが(RUN DMCかよみたいな?)、それはいいとしよう。

 amazonのレビューには酷評も並ぶこの作品だが、私としてはマンガ原作の作品ということを考えれば、違和感も抱くことなく見れた。dvdを観ながら、一度もポーズすることなく見れたという事実が、それを証明していると思う。

 多くの人が言うマンガ原作との違和感であるが、私自身は話の筋は大体知っていたけれども、マンガの本編は未読であったので、そのことも大きいかったかもしれない。もしマンガを先に見ていてファンであったなら、別の感情を持ったかもしれないと思った。後からあらためてマンガを見て感じたのは、映画版にまとめるには、主人公の心の葛藤を中心にというか、ある意味それだけを描くしかなかったのは、自然な帰結だったろうということである。オチもああするしかなかったと理解できる。

 私が一番気になったのは、主人公の本当の姿を母親が気付いているように見える描き方が、映画用に独自に作った演出ではないかと思ったところである。後からマンガを見て、それが当たっていたことに気付いて納得した。脚本家(最近は『ブザー・ビート』を手がけた人である)が作ったのか、監督が作ったのかはわかりませんが。

 驚くのは、ジーン・シモンズはじめ、カジヒデキやKダブが、この映画の茶化し方を理解した上で(なのかどうかほんとはよくわからないが)、出演していることであろう。ふところが広いというか何と言うか。そもそもこの作品が、(デス)メタルファンをも茶化してしているからだと思うが。ジーン・シモンズ、これで一体いくらギャラもらって出たんだろう? 思えば一番気になったのはそこだった。

 あと、当たり前って言っちゃ当たり前だが、この作品ではデトロイトというのは記号でしかない。マンガ原作にも、デトロイトの街なんてもちろん出てこないし、言及もされない。そもそもデトロイトはメタルの街ではないし。確かにKISSがウケたのは、デトロイトという街からだったわけだが(なので『デトロイト・ロック・シティ』という曲があるわけだし。DRCとは決して略さないが)。それを言うならモータウンサウンドが生まれたのもデトロイトだし、テクノミュージックの再興が起こったのもデトロイトだ。ヒップホップで言えば、J Dillaを生んだのも、エミネムを生んだのもデトロイトなわけで。
それだけデトロイトという街は、エポックメイキングな魅力あふれた街なのであるが、デトロイトとはいいながら誰もデトロイトという街には一切注目することのない、DMCなのであった。