2018/11/17 An Evening with Fleetwood Mac @ Tacoma Dome, Tacoma, WA

 せっかくワシントン大学ハスキーズのフットボールのゲームを、第4クォーター中盤の途中で抜け出したのだが、最悪なことに、駐車場の自分の車に行きつくまで迷ってしまった。自分が車を出す頃には、もう試合は終わっていて、ワシントン大学周辺を抜けてフリーウェイに入るまで結構な時間がかかってしまう。すでに17時を回っており、辺りは暗くなっている。これでは何のために早く出たのかもわからない。

 ワシントン大学からフリートウッド・マックのライブが行われるタコマドームまでは、普通ならば1時間もかからないはずなのだが、ようやくフリーウェイに入り、車がようやく流れた頃には、ナビの到着時間は19時を回っていたように思う。そして、フリーウェイも結構な具合に混んでいる。本当ならばどこかでメシを食ってゆっくりしながら着く予定だったのだが、そんな余裕もなさそう。
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 今回の旅でたまたまスケジュール的に合って、ぜひとも観たいと思ったのが、フリートウッド・マックのライブである。出会いは、私がほぼ洋楽しか聴かなくなった1980年代中盤である。アメリカで歴代最も売れたアルバムのランキングには、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を筆頭とする中で、当時ですら1000万枚以上売り上げたフリートウッド・マックの『Rumours(噂)』が入っていることを知る。当時は全く聞いたこともないバンド名だっただけに興味を持ち、その後、スティーヴィ―・ニックスのソロアルバムがヒットして、彼女がメンバーであることを知り、それからグループの曲も聴くようになった。1987年にはフリートウッド・マックのアルバム『タンゴ・イン・ザ・ナイト』がヒットして、それから昔のアルバムも聴いていくようになった。
 
 当初は『Rumours』に収録されているナンバーワンシングルヒットである”ドリームス”を聴いて、その淡々とした曲なのに、味があり、中毒性もある展開に夢中になったが、アルバム全体を聴くと、『Rumours』の魅力は、”ドリームス”以外の曲にこそ感じられるものであり、バンドに3人いるソングライターがそれぞれの持ち味を存分に発揮しており、その成果が均等に割り振られて、捨て曲が1つもないと言っていい、どこを取ってもうまいスルメ的な傑作アルバムであることに気付いた。

 バンドにソングライターが3人いて、その誰かが突出しているわけでもなく、それぞれがリードボーカルも取るというようなスタイルは、それまで聞いたことがなかった。そこが自分には万華鏡のような魅力のように感じられた。今でもこのようなスタイルのバンドはそういない。日本で言えば、ユニコーンくらいか。でも、ユニコーンは、奥田民生が突出していて、リードボーカルを取る曲数が他の人よりはるかに多い。それにユニコーンは、採用される曲数にバラツキがあるが、ソングライターは5人全員とも言える。

 そうやって聴いていく中で、フリートウッド・マックは、元々イギリスのバンドで、初期はブルースバンドであり、全く曲調もボーカルも何もかも違うバンドだったと知る。1970年代中盤にアメリカ人のリンジー・バッキンガムとスティーヴィ―・ニックスが加入し、現在のスタイルを確立し、大ヒットを飛ばしてきたことがわかる。

 中でも自分が魅かれたのは、ギタリストであるリンジー・バッキンガムの曲である。フリートウッド・マックは、基本、曲を作った人間が、リードボーカルを取るので、曲が誰の作曲はすぐわかるのだが、リンジー・バッキンガムの曲は聴けばすぐにわかるおもしろさがある。ポップであり、ファンキーであり、ふざけたような個性的なリズムであり、展開、そして歌詞が耳に残り、いつの間にかリンジー・バッキンガムの曲だけを繰り返し聴いてしまっている。77年の『Rumours(噂)』で言えば、”Second Hand News” ”Never Going Back Again” ”Go Your Own Way” であり、 79年の『Tusk(牙)』ならば、”The Ledge” ”Not That Funny” ”That's Enough For Me” ”I Know I'm Not Wrong”であり、82年『Mirage』で言えば、”Can't Go Back” ”Empire State”である。これまでのポップミュージックでは聴いてこなかった、軽快でふざけたような大真面目な、ありそうでなかった独特の曲。彼をギタリストとして評価する声も多いが、私には演奏よりもその曲がどういう経緯から生まれたのかがとにかく気になった。

 フリートウッド・マックは日本にも何度か来ているが、その世界的な知名度からしたら、圧倒的に来日回数は少ない。とにかく日本では人気も知名度もない。その理由は、つかみどころのないような音楽性なのだろうか、バンドの顔といったものが明確でないからなのだろうか、アメリカの田舎を連想させるローカルさか、その魅力は聴きこなさないとわからないので意外と伝わらない。そして、このバンドは継続性が伴っていないというのもある。特に90年代からはいつの間にか活動していなかったり、メンバーが離脱していたり、かと思えば何度も再結成したり、またメンバーが離脱したりの繰り返し。残念ながら、私自身は来日公演に一度も行けていないこともあって、結成50周年を期に再びワールドツアーを始めた彼らを、観れるなら見ないわけにはいかないと思った次第である。そして、ほぼ間違いなく、人気のない日本で来日公演はないだろうとも思ったからである。

 しかし、今回のワールドツアー前に、サウンドの要であるリンジー・バッキンガムが離脱することが発表された。そして、それでもツアーをするというのが、彼ららしい。まさに何だかなあという感じである。くしくもリンジー・バッキンガムは、メンバーのクリスティン・マクヴィーとなぜか2人で共作した『リンジー・バッキンガムクリスティン・マクヴィー』というアルバムを2017年に出していたばっかりだったからだ(このアルバムがまた素晴らしいもので、フリートウッド・マック名義で出したら良かったのに思うほど、いかにも2人らしい名曲揃いなのであった)。リンジーが離脱した理由は、個人的な事情でツアーの開始を数か月遅らせてほしいと言ったのを、スティーヴィ―・ニックスがそんなに待てないと聞き入れなかったからとされている。とはいいながら、11月のちょうどこの時期には、リンジー・バッキンガムもソロでライブを行っていたりしていた(ちょうど11月17日のこの日はミシガン大学であったと思う)。まさに何だかなあという感じである。

 そしてリンジーの代わりにツアーに加わると発表されたのが、トム・ペティの長年の相棒、ハートブレイカーズのギタリスト、プロデューサーであるマイク・キャンベルと、元クラウデッド・ハウスのニール・フィンなのであった。なぜこの2人がと思ったが、俄然、期待は膨れ上がって来た。マイク・キャンベルは、トム・ペティが亡くなった後、再就職先が決まってよかったなという思いと、リンジー・バッキンガムの曲はどうやるんだろうという興味だった。実はワールドツアー前に、この新星フリートウッド・マックがテレビ出演したライブ映像を見た。曲は彼らのトレードマークと言える曲である”The Chain”、『Rumours』に収録されている曲だ。レコードとはアレンジが随分違うが、こんな風な感じなのねと期待を高める。ニール・フィンはリンジーの部分のボーカルを取っていたが、結構なじんでいた。マイク・キャンベルはずっと前からそこにいたように見えるからすごいものだ。
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 ということで話は長くなったが、そんな前置きがあった上でのフリートウッド・マックのライブなのであった。タコマ・ドームまでは思いのほか遠かった。開演は20時であるが、着いたのは19時をかなり回っていた。やはり知らない場所に、時間が迫る中、向かうのはストレスが大きい。タコマの街は、シアトルとは違い、さびれた田舎町の雰囲気しかない。タコマ・ドームのすぐ近くの駐車場は一杯になっていたようで、近くに電車の駅があり、その付近に個人が開設している臨時パーキングみたいな場所に駐車をして、帰り道を確認しながら会場に向かう。駐車代は20ドルだったかな、それほど遠くなかったから、儲けもんであった。

 タコマ・ドームは、ドームというが、なんか大きなサーカステントみたいな外観である。バスケットボールやホッケーのアリーナとして使われてきた会場で、アメリカンフットボールをするには小さい感じ。1980年代にできたようで、古さは感じる。かつてはNBAシアトル・スーパーソニックスも使っていたみたいだが、今はスポーツアリーナというよりも、コンサート会場として使われる方が多いようだ。今回、チケットはチケットマスターで購入したのだが、めずらしくプリントアウトチケットではなくて、会場のウィルコールで受け取る方式。入場には、金属探知機を抜けなくてはいけないので、結構な人数が並んでいる。物の見事に、客は白人ばかり。ラテン系やアフリカ系、アジア系はいないね~。白人の客と言っても、年齢層は幅広く、さすがに子どもはいないが割と若い層も多いのには驚いた。
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 中に入ると、入口のフロアレベルからさらに階段を下りていってアリーナに至る方式、スタンド席はさらに階上にもあり、かなり高低差のある空間であり、天井にはドーム型に作った骨組みがびっしりと見える。建築的にかなり古いものではないかという感じ。自分が買ったチケットは、フロア席の中盤くらいの位置。ジョン・メレンキャンプのコンサートがあった会場とはちがって、約2万人は入るアリーナなので、ステージの上や左右に大きなビジョンが複数設けられて、これなら見やすそうだ。スタンドでも見やすそうだが、やはりフロア席は臨場感が違う。ここまで会場が大きいと、売店で食べ物も売っていた。死ぬほどお腹がすいていた自分は迷わずペパロニピザを買う。フロア席にはパイプ椅子が置かれていて、そこで食べながら待っていると、開演時間の20時だ。
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 ライブは前座もなくて、20時20分くらいにBGMが鳴り止み、スッと始まった。曲はやはり”The Chain”から。独特のイントロが演奏されると、観客の歓声が一気に上がる。この曲は『噂(Rumours)』のB面1曲目の曲であるが、シングルにはなっていない。それでもイントロが流れただけでフリートウッド・マックのテーマとして認識される有名な曲だ。そして、数少ないメンバー全員の名前が、ソングライトに記されている曲である。でも私自身はこの曲は、初めてレコードを聴いた時の音が一番カッコ良くて、今でもレコードの音源が一番好きなのよね。
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 2曲目は”Little Lies”。まさかの87年のアルバム『タンゴ・イン・ザ・ナイト』の曲である。若いファンに配慮したのか、クリスティン・マクヴィーへの配慮か。3曲目は”Dreams”。クリスティンはちょっと大丈夫かという感じの声だったが、スティーヴィ―・ニックスの声はびっくりするほど変わらないし、よく出ている。どんだけトレーニングしているんだろう。もう70歳越えてるのに。

 ステージ奥のビジョンには、それぞれのメンバーが分割して映し出されたり、1つの大きな画面になったり、曲に合わせた情景になったりと、遠くても見やすい。やはり大きなホールはいい。とはいえ、フロア席は傾斜がないので、さらにアメリカ人は背が高い人間が多くて、後ろの方はつらいし、写真も撮りにくい。それでもフロアには、スタンドよりも一体感がある。みんなで歓声あげて盛り上げていこうという雰囲気に包まれている。
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 4曲目は”Second Hand News”。リンジー・バッキンガムの曲であり、やはり元クラウデッド・ハウスのニール・フィンがボーカルを取る。声質は確かに似ていなくもないけど、やはり違和感。『Rumours』の1曲目
の曲だが、もっともリンジーならではの味が必要なボーカルの曲で、これ歌うの? もうちょっと別の曲もあったのに、っていう感じである。モノマネはしてほしくないが、ただ歌われてもねぇっていう微妙なところ。このままクリスティン、スティーヴィ―、リンジーの曲が次々と順番で来るのかなと思ったが、さすがにリンジーの曲は少なかった。

 5曲目は『Rumours』よりも古い、75年『Fleetwood Mac(ファンタスティック・マック)』収録のクリスティンの有名曲”Say You Love Me”。だいぶ古いファンを意識してなのか、6曲目はなんと”Black Magic Woman”である。でもボーカルは、スティーヴィ―・ニックスなので、オリジナル感はなく、カバー曲のように聞こえてしまう。たしかライブアルバムでも、この曲を今のメンバーで演奏している音源はなかったかと思うが、さすがに50周年ともなると、ここまで昔の曲もやらなければというところだったのか。というよりも、ただのマイク・キャンベルの見せ場作りの配慮か。いくら古いファンでも、ここに懐かしさは感じないでしょう。

 7曲目は"Everywhere"。まさかのまたも『タンゴ・イン・ザ・ナイト』の曲である。いい曲ではあるけど、おぼえている人も少ないでしょう。クリスティン・マクヴィーはこのアルバムが意外と好きなんだね。8曲目は、”Rhiannon”。これもまた『Fleetwood Mac(ファンタスティック・マック)』の曲だ。アルバムの曲が結構偏っている。
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 ここから演奏を聴かせる流れに入っていく。さらに昔のアルバムに入っている曲で、セットリストを見るまでわからなかった”Tell Me All The Things You Do”。さらに、また『Fleetwood Mac(ファンタスティック・マック)』に入っている”World Turning”。驚いたのはこれは、ここからドラムスのミック・フリードウッドのドラムソロに入る序章だったことだ(サポートミュージシャン以外のメンバーはステージから一旦退場)。普通のバンドならドラムのソロでは2度ほど歓声が起こればいいようなものだが、彼の場合は違う。ドラムを叩きながら、さらに声でも観客を煽る。客は何度か歓声を上げて答えるが、みんながどこまで続くんだと、しまいには黙って、あ然とするしかないほどのパフォーマンス。10分くらい続いた長丁場だった。ドラムからアフリカのジャンベみたいなパーカッションに変えて、立ちながら動いて叩き続けたかと思うと、まだ終わらず、さらにドラムに戻って叩く。その頃にはメンバーも戻ってきて、また”World Turning”の曲に戻るという感じ。今年71歳だよ、この人、化け物か。何でこんなに体力があるのよ。ライブ中も、1人だけ休んでもいなかったし。
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 ここでおもしろかったのは、何かどこかで聴いたことのあるようなリズムが聞こえたこと。これ、”Tusk”のリズムじゃないの?と思った。なんか、似てる。ミック・フリートウッド、あんた最高だよ。爆発的に売れた『噂(Rumours)』の次に作られて、リンジー・バッキンガムの色が強く、期待されたほど売れなかったため、失敗作のように見なされている79年の2枚組アルバム『Tusk(牙)』。でも、よくよく聴いてみると、これほど野心的作品はないだろうと思うくらい、私には大好きなアルバムになった。その表題曲の”Tusk”は、当時としてかなり珍しかったであろう、アフリカ的なリズムを取り入れたような結構な実験的な曲である。今回のライブでは、この『Tusk』の収録曲は残念ながら1曲も演奏されなかったのだが、ミック・フリートウッドは、このアルバムのテイストが好きなんだろうなと思った。今回、リンジー・バッキンガムはライブに参加しなかったが、それでも、”Tusk”みたいな、リンジー的なノリを出してみせてくれた。

 その後、今回のライブで唯一の82年『Mirage』の収録曲、スティーヴィ―・ニックスの”Gypsy”をはさんで、今度はマイク・キャンベルをフィーチャーした”Oh Well”。これはだいぶ昔のブルースバンド時代のアルバムの曲だが、ギターが全面的に出ているから、彼を目立たせるにはいい曲である。すると、その後に演奏したのは、なんとクラウデッド・ハウスの”Don't Dream It's Over”。これを普通にニール・フィンが歌う。いや、いくらニール・フィンが参加してくれているからって、そこまではファンは求めてないよ。これはフリートウッド・マックのライブなんだからさ。2番でスティーヴィ―・ニックスが一緒に歌って、マックの形にはなったけど、これはどう考えても、余計だった。
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 後半になって、後はヒット曲を聴かせるパターンだった。『Fleetwood Mac(ファンタスティック・マック)』収録の”Landslide”、と思いきや、また『タンゴ・イン・ザ・ナイト』の”Isn't It Midnight”、そしてまたも『Fleetwood Mac(ファンタスティック・マック)』収録の”Monday Morning”だった(他会場では『Mirage』の”Hold Me”を演奏したところもあったようだ)。そして、ここからは『Rumours(噂)』の曲が続く。”You Make Loving Fun” ”Gold Dust Woman” (モニター上では、スティーヴィ―・ニックスが金粉の中に浮かび上がる演出効果が見事だった)そして、またニール・フィンが目立つ”Go Your Own Way”であったが、もう観客も気にしないで一緒に歌っている。そして、メンバーが礼をしてステージから退場。
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 すでに時間は22時15分をまわっていた。残念ながら、私はこの日にシアトル・タコマ空港に行って、24時30分の夜行便に乗る計画だったので、空港まで約30分かかって、レンタカーを返すことを考えると1時間は見ておかないといけない。さすがに2万人近い客の移動で、もう渋滞に巻き込まれるのは避けなければいけないので、終了前に会場を出ないといけない。
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 すでに帰り支度をして、階段を上がりきった出口に近いところで待っていると、アンコールが始まる。最初の曲は”Free Fallin”。なんとトム・ペティのカバーである。歌うのはスティーヴィ―・ニックス。確かに、マイク・キャンベルはいるし、トム・ペティが亡くなって1年も経ってないわけだし、スティーヴィ―・ニックスはトム・ペティとツアーで何度も共演していたりするわけだけれども、それでもここでそこまでやるんだ?という印象である。しかも、この曲じゃないだろうという思いもあった。トム・ペティのライブにスティーヴィ―が参加したので音源になっているのは、”Needles and Pins”だが、この曲はトム・ペティの曲ではないということなのだろう。しかし、”Free Fallin”は新しすぎて、やはり違うだろうという印象は拭えない。でも、モニターにトム・ペティの写真や、一緒に写っているマイク・キャンベルやスティーヴィ―・ニックスの写真がどんどんと写し出されると、やはりグッと来る感じになる。しかし、何枚出すんだという写真の数の多さであった。ここでずっと見ていたらさすがにマズイと、自分は未練を断ち切って会場を出た。

 結局、この後のステージは、セットリストで明らかにされているように『Rumours』からの”Don't Stop”と、95年のアルバム『Time』に収録されていて、クリスティン・マクヴィーとスティーヴィ―・ニックスが2人でしっとりと歌った”All Over Again”(90年代以降のアルバムの収録曲で披露したのは、この曲のみ。演奏しない会場もあった)だけだった。せめて”Don't Stop”は会場で一緒に歌いたかったが、もう時間がなかったため、仕方がない。実はトム・ペティの追悼ブロックも、歌を歌っただけで、スティーヴィ―・ニックスなどがトム・ペティについて何かコメントをしたりというのもなかったようだ(ツアーの最初の頃はあったのか?)。アンコールの一番最初のブロックで盛り上がるところなんだから、もう少しなんかあってもよかったんじゃないのというところだ

 他会場のセットリストもアップされているのでわかるが、全米の大規模なアリーナを回るツアーのバンドは、どこの会場も演奏する曲はほとんど変わらない。1曲2曲違うものがあるかないかという程度。本当は、そのご当地ならではの曲を、カバーソングでも、アコースティック仕様でもいいので、1曲くらい用意してくれてもいいのにと思うが、そんなことをやっていたらものすごい手間がかかるから、仕方がないわけだ。でも、行っている客としては、何かしらハプニングの1つでも求めたくなるものなのである。
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 幸いにも早く会場に出たので、渋滞もなく、レンタカーも問題なく返せて、空港には1時間より前に余裕で着くことができた。空港内もささすがに夜行便だったので、混んでおらず。このまま朝、6時過ぎにシカゴに着く流れである。ユナイテッドの国内線のエコノミー座席は寝るには狭かったが、それでも疲れていたのですぐに落ちていた。途中、赤ん坊のギャーギャー泣きまくる声が聞こえた。自分は疲れすぎていて寝れたのだが、こんなみんなが寝るために乗っている夜行便に、わざわざ赤ん坊を乗せるかね。赤ん坊は泣くものというが、自分が乗っているものが飛行機だと認識もできない年齢で乗せても、それは赤ん坊本人のトラウマになりかねないだけのものでしかない。てっきりアジア系やラテン系の夫婦なんだろうと思ったら、普通に若い典型的なアメリカ人の夫婦だった。そこまでして、みんなに迷惑かけて、この時間に乗らないといけない意味は、何なのか。わからんなー。ということで、翌日はインディアナ州である。