映画「七人の弔」 もうちょっと注目されてもいい映画なんじゃない?

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 ダンカン初監督作品。これが意外にもおもしろい。

 北野映画の良いところと何だかなあと思うところ(笑えないギャグなど)が良くも悪くも出ている映画ではある。ただ子供の人身売買を取り上げながらも、先の展開を期待させる手法は、初監督作品だけに力の入れ具合も見えてきて、見事としか言いようがない。

 ただ惜しむべきはラストである。人身売買というブラックなテーマに挑戦していた野心作なのに、もうちょっとブラックなラストでもよかったんじゃないか?という思いをやたら強く感じる。というかどうもこの作品には別のラストが本当はあったんじゃないかという気が多々する(少なくとも脚本の段階では)。映画の公開(撮影)段階になって、このラストじゃあんまりだろとか、これじゃ観た人間の後味が悪すぎるだろとか、周囲の様々な意見があって修正されたんじゃないかという裏でのやりとりを想像してしまう。実は仕方なくラストを変えたんじゃないか? ダンカンという人だけに、ほんとは別の展開を考えていたんじゃないかという憶測も持ってしまうのである。

 なぜならラスト近辺での、子供達が自分が死ぬことが避けられないという状況に至った時の感情の移り変わりが、本当は主たるテーマだったのではないかという思えたためである。それだけそこまでの盛り上げが見事だったということだ。実際映画の中でそこの感情までふれていた作品というのは、そんなにないだろう。未来のあるはずの子供が、確実に自分が死ななければならない立場になった時、どういう行動を取るのか? そこをもっと深く掘り下げていれば、これはものすごい作品になっていたかもしれない。海外の映画祭にも出品していながら、賞を取れなかったのは、そこの甘さだったのではないか?

 実際の映画のラストは、結局の所子供達が仲間達と共謀して仕返しするという、どんでん返しでも何でもない、ありきたりというか、現実問題そんな展開はありえないもので終わってしまっている。だって子供達を生かしておいて、その面倒は誰が見るのよ? 子供の味方に立って利益がある大人はいないんだから。映画の観客側に立ってみれば後味が悪いものかも知れないが、そんな時でも子供の中には死を受け入れる者、抵抗する者、リーダー格の子供自身が取る選択のバリエーションなど、話の展開としてはいくつものおもしろさがあったはずだが、結局ハッピーエンド?を指向したために、そこを生かし切れていないのだ。

 ディテールとしては、いくつもののアラがある。別に臓器売買に限定する必要もないし(臓器売買であるならば、逆に子供は殺されなければならないというわけでもないはずなのだが)、臓器売買ならば医学的な意味で子供ならばいいというわけでもないマッチングの問題の方が大きいはずだというのもある。性的な意味での人身売買や拉致を話題に出すでもなく北朝鮮など外国に売られて行くなんて話も入れてもよかったのではないかとも思う。子供を虐待しているから、親が人身売買に子供を供与するかと言えばそういうわけでも決してないはずだし。

 しかし、それらのディテールのマズさを抜きにしても、これだけのブラックな話題を日本映画というメディアで取り上げたことは、絶賛に値するのではないか? 北野映画というかそのチームだからこそ、この手の映画ができたのか? それにしても惜しむべきはそのラストである。これは今の日本映画の限界を象徴しているのでしょうか? たまたま昨日書いたのだが「運命じゃない人」なんかよりも、自分は間違いなくこちらを支持する。