レッチリ@フジロック red hot chili peppers fuji rock 06

 今年のフジロックはある意味で快適だったかもしれない。一日目は雨が降りそうで降らなかった天気で暑くなかったし、二日目は雨で泥んこになったが、でも豪雨というほどではなかったし、寒くはならなかった。三日目は快晴だったが、でも風もあって意外と涼しく感じることもあった(それでも腕は灼けたようでちょっと熱い)。これまで熱中症の一歩手前で苦痛を感じていたり、日焼けで体がヒリヒリするということもなかったからね。

 思い出してみれば、3日もフジロックに行くなんて何年ぶりだろう。ここ数年はサマーソニックにばかり行ってたからね。相変わらずの人混みで相変わらずの無駄な(無意味じゃないんだろうけど)行列でしたね。こんなしんどい目して行くかと思ったけれど、やっぱり行っていた。何も変わっていないのが懐かしい。

 やはり今年のメインは2日目のトリのレッチリだった。かなり前の方にいたから、どれだけ集まっていたか全体像がよくわからなかったけど、泥まみれになりながらも楽しめた。まだまだ自分は人並み以上の体力があるんだなと確信した。

 しかし色んな所でも一部書かれているみたいですが、メインとしてこれでいいの?という風に感じたのは間違いない。舞台セットもなし、特に凝った演出もなし、衣裳もそんな変なものでもなし(その前の電気グルーヴがおもしろかったからなおさら目立った)。新作を出してすぐのライヴだから、そこからの曲が多くなるのは仕方ない。でもトリのバンドでもアンコールは「ギヴ・イット・アウェイ」の一曲とセッションだけという淡泊さ。ジョンがビージーズの曲を歌ったのには驚いたけど、そのことは最近のツアーでの情報で何かやるというのは聞いていた話だったし、他の曲はいつもやるほとんど定番のみ。

 「世界最強」のバンドだから、別に余計なものはなくてもいいかもしれないし、特別何も変わったことをやらなくてもいいんだろうけど、でもそれでいいの?というのが正直な感想だ。彼らだからこそ最強のバンドになっている今でも、何かしてくれるだろうという期待を持って見ていたのだが(他のことにお金をかけられないほど、レッチリのギャラが高かったんだろうかね?)、やはり今の時代彼らにそんな要素を求めるのが無理な話なのだろうか?

 考えてみれば、私がレッチリを知ってから、ちょうど20年になる。その年月に驚く。しかし、私が知った時のレッチリは、史上最強のバンドでも何でもなく、邪道でどちらかと言えば色モノなバンドだった。白人なのにファンクが大好きで、あのジョージ・クリントンが認めたバンドということで興味を持った。ミクスチャーの波に乗って大ヒットを飛ばすようになって、自分のことのようにうれしかった。彼らは常に刺激的で前衛で荒削りで、こちらの予想しえないものをしでかしてくれるという期待があった。あの有名なチ●コソックスをはじめ、全裸で演奏するステージ、全身金粉?で踊っていたPV、火柱の上がるヘルメットや電球のかぶり物で登場したライヴなどあげればきりがない。

 確かに20年以上もやっていればバカはやめるだろうし、40過ぎれば人間も落ち着くだろう。彼らがすでに歌詞にfuckという言葉を使わなくなってけっこう経つ。新作「スティディアム・アーケイディアム」が出た時にも書こうと思ったが、新しい意欲が感じられる新曲もあった中で、やはり構成が「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」の中の曲に似ているのが目立っていたと思ったことだ。曲を作るのがほとんどジョンだから仕方がないのかもしれないが(曲の構成的には「カリフォルニケイション」や「バイ・ザ・ウェイ」の方が似ている要素は顕著だろう)。しかも何でわざわざ2枚組にする必要があるのか? 区分けしている意味もよくわからなかったし、相変わらず特別なゲスト参加もないシンプルなものだったし。

 レコーディング技術は向上しているだろうし、演奏の技術も上がっているだろうとは思うが、でも単純に思うのはそれでいいの?ってことだ。史上最強と言われている彼らだからこそ、似たようなレベルの曲を作るだけでなく、こちらが想像もしないようなことをしてほしかった。彼らにはそれを期待させてくれるだけのものがあったから、なおさらなのである。

 フジロックでかぶった泥を落としながらも、私は心の中に落としきれないものがずっとある。最近のレッチリしか知らない子供のファン達は、レッチリの変遷をどう思っているんだろうね? 昔のアルバムとか聞いてるのかな? そんな昔のことどうでもいいのか? ライヴでやらない曲聞いても仕方ないのか?

 そもそもレッチリは「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」すらも封印しようとしているんじゃないかと思えてきた。この時代の汚い言葉を使った、本人達的には欠点の目立つ昔の曲よりも、今のうまくなっている曲をやる方がバンドとしては気持ちいいもんね。そんな彼らでも封印できない曲が「ギヴ・イット・アウェイ」なんだろう。

 やはり単独のライヴでもなく、フジロックという場であるからこそ、そでしかできないことを何かしてほしかった。しかも今年はフジロック10周年だ。私も今だって覚えている嵐の中の第一回のライヴを想起させてくれるようなこともほしかった(途中であがっちゃたけどやっぱり雨やったしね)。これには主催者側の責任もあっただろうと思う。だって普通セット作りましょうと言えば、相手は乗ってくると思うし、構成すべてに口を出せなくても、10周年なんで思い出の曲を多めにお願いしますぐらいのことだって言えただろうに。そもそも通常のツアーとは別扱いの時間も短いライヴなんだから。

 でも一般の人には、そんな10年前のライブなんて関係ないもんね。だってあの場を知らない人の方が圧倒的に多いだろうし。映像が出ているわけでもないし。そもそも2002年にレッチリフジロックに来てる(これは残念ながら見てない)。しかもレッチリにとってあの頃は一番封印したいディヴ・ナヴァロの時代やからね。(みんな悪く言うけど、「ワン・ホット・ミニット」はここ数年のレッチリとは明らかに異質な、野心作で傑作です。いずれ再評価されるはず)

 今回のフジロックを見て、なんかもうレッチリはライヴをあまりしたくないのかなとも思ってしまった。(そもそもジョンは昔ライヴが大嫌いな人だったのよね)何もしなくても売れるし、何もしなくても客が入るんだろうけど、だからこそ何か変わった趣向を凝らしてほしいんだけどね。もうそこに彼らは楽しみを見いだしていないのだろうか? 彼らが悪い意味でのローリング・ストーンズにならないことを祈るばかりである。

 それでも今年のフジロックには話の種になることがいっぱいあった。ナールズ・バークレーはおもしろかったし(メイドとシェフの衣裳がよかった、衣裳一つでツカミはOKだった)、マッドネスではなんとリコ・ロドリゲスが登場!(もう80近い?)手が震えていて、ほとんど吹けていない所もあったけど、感動ですわ。ソニック・ユースには予想した通り?ジム・オルークも登場、盛り上げますわ。フィッシュマンズのヴォーカルが次々に変わるライヴも見応えありましたし。意外と小粒なメンツと言われていたフジロックの方がサマソニよりもよかったという声があがるかもね?